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2000/12/15

<韓国文化>新羅・伽耶の不思議 ⑨

新羅・伽耶の不思議 ⑨  韓 永 大

 解明近づく伽耶の歴史的実像

 ホケノ山古墳は伽耶系木槨墓

 現在、日本の歴史学会・考古学会を震撼させている一つの出来事がある。今年3月発掘された纒向(まきむく)遺跡のホケノ山古墳(奈良県桜井市)である。

 それは3世紀半ばの最初期の前方後円墳であり、最古の大型前方後円墳とされる箸墓古墳よりさらに一段階古いこと、そして埋葬施設の内部構造が、それまでに前例のない「石囲い木槨墓」であることからである。

 前方後円墳は日本独自の墓制で、かつ大和王権と共に成立したとされており、古代王権象徴の墓制である。ところがこの「木槨墓」なるものは、1~5世紀にかけて韓国東南部、弁辰(弁韓)と伽耶で盛んに用いられた独特の墓制であった。

 伽耶と畿内勢力とが交流していたことは、多くの出土物によって明らかだが、今回の発見によりその関係は、生活文化の最深部である墓制にまで及ぼうといている。さらには邪馬台国女王・卑弥呼の墓ともされる箸墓古墳とも近接の関係にある。大塚初重氏(考古学者)はそれゆえ、ホケノ山古墳の発掘を「戦後の考古学調査の中で、きわめて重大な成果だ」と位置づけた。

 活発な弁辰・伽耶との交流

 金海付近の狗邪韓国と北部九州(福岡)とが弥生時代に密接な文化交流があったことは、倭製の小型?製鏡、中広形・広形銅矛が伽耶地域で発掘されること、また古墳時代に伽耶と畿内とが密接であったことは、畿内製の巴形銅器、碧玉製品類が伽耶で発見されることから判明している。一方では、鉄?はじめ鉄製品の量が、古墳時代に入って、畿内が北部九州を圧倒する。畿内勢力が弁辰の鉄資源入手ルートを確保したためと考えられている。

 伽耶系の出土遺物

 ホケノ山古墳からの出土品を調べると、伽耶との関係が一層はっきりする。

 1、二重口縁底部穿孔(せんこう)壺

 葬送儀礼用のこの壺は庄内式土器と呼ばれ、S(エス)字型口縁に特徴がある。弥生時代後期と、古墳時代初期の布留(ふる)式土器との間を埋めるものであるが、この二重口縁形式は釜山・東莱貝塚から祖型が発見されている。周濠内から発見された布留0(ぜろ)式土器も金海や釜山に祖型が認められるもので、畿内特有のものではない。

 なお、紙幅の都合上詳細は省くが、4世紀代に遡る陶質土器(須恵器。ロクロ形式の高温焼成)の源流も伽耶にあり、北部九州から香川、広島、大阪へと瀬戸内海沿いに東上した。大阪の吹田32号窯、一須賀1号窯、大庭寺窯などの鋸歯文、斜格文などは伽耶伝来のものだ。

 2、銅鏃・鉄鏃

 銅・鉄各60個の鏃(やじり)が発見されているが、その中の「柳葉式」銅鏃は、金海・大成洞(29号墳)から出土しており、古墳時代最前期の椿井大塚山古墳へと連なるものである。

 3、銅鏡

 後漢末の画文帯同向式神獣鏡と内行花文鏡が出土したが、鏡と伽耶との実証的関係は不明である。ただ、弥生後期から古墳初期にかけての日本では、内行花文鏡と中国鏡がセットで発見される特色があるが、金海・良洞里木槨墓(162号墓)からも後漢野内行花文鏡と中国鏡がセットで発見されている。

 4、素環頭大刀

 素環頭大刀1口を含む鉄刀剣・槍15口が出土。権威の象徴としての環頭大刀は中国漢代に発達したが、4世紀を最後に中国では作られず伽耶と新羅で盛んになった。金海・良洞里や蔚山・下垈地区からは、早くも2~3世紀の環頭大刀が発見されている。

 銅・鉄鏃や環頭大刀、刀剣槍類などはホケノ山古墳の武人的性格をよく表している。

 木槨墓は伽耶に源流

 後円内部の埋葬施設の構造は、これまで日本で知られていた粘土描槨、木炭槨、礫槨とは全く異なる。前例のない「石囲い木槨墓」であった。

 瀬戸内地方の佐田谷1号墓(広島)、雲山鳥打1号(岡山)、楯築(同)や西谷3号(島根)で弥生時代末の木棺・木槨(板材)の二重構造が先行例として知られている。しかし巨大空間と丸太材組立(ログハウス式)のホケノ山の構造(長さ7㍍×幅2・7㍍×高さ1・1㍍)は初例で、非楽浪系の北方型墓制である。

 これらの木槨墓の直接的源流は狗邪韓国や伽耶にあり、近年発掘された1~3世紀の金海・良洞里や福泉洞の約50基の墓群のうち、実に20数例が木槨墓であった。

 さらに、金海・大成洞(29号、3世紀後半)では北方式銅?(どうふく)と共に、丸太材組立式の木槨墓が出現し、4隅に丸太材が立てられていた。また、蔚山中山里古墳群(2~5世紀)では、「石囲い木槨墓」と類似した構造の木槨墓も発見されている。

 一連の日本の木槨墓は、弁辰や伽耶の影響を受けて成立したとみるほかないのである。

 濃厚な伽耶との関係

 以上のことから、ホケノ山古墳や纒向古墳群の勢力が伽耶と密接な関係を有していたことが実質的に想定される。

 また、二重口縁底部穿孔壺や布留式土器、さらには伽耶系の特殊器台形壺が、近接の初期大型前方後円墳、箸墓古墳でも発見されており、伽耶と畿内勢力との文化関係は濃厚である。

 箸墓古墳の説がある女王卑弥呼の墓には奴婢百余名が殉葬されているが、殉葬は日本にはない風習で、伽耶および北方大陸で発見されるものである。

 『三国遺事』駕洛国記の建国神話と『記・紀』の建国神話との間には、偶然の一致とは考えられない数々の共通点があることは、これまでも多くの先学によって指摘されてきたが、ホケノ山古墳の発掘により、「神話と文学」から「実証と科学」の段階へ一歩大きく踏み込んだように思われる。今後の新たな発掘調査しだいでは、畿内勢力との関係を通して、伽耶の新たな歴史的実像が浮かび上がる可能性がある。

 ハン・ヨンデ 1939年岩手県生まれ。在日2世。韓国美術研究家。上智大学英文科卒。著書に「朝鮮美の探求者たち」(未来社)、訳書に「朝鮮美術史」(A・エッカルト著、明石書店)。