新羅・伽耶の不思議 ⑧ 韓 永大
最高傑作の人面トンボ玉
文様に託されたメッセージ
三国時代の新羅では、特にガラス玉が多出する。大部分は単色(主に濃紺色、他に青、黄、緑)のガラス玉(径0・8~1・0㌢)で、金冠塚からは数万個出たこともある。この中に混じって、ガラスの原色に加えて、黄や緑で同心円文などを着色・象嵌したガラス玉が発見されている。いわゆるトンボ玉といわれるもので、紐を通す穴があいており、韓国では象嵌瑠璃玉(サンカムユリオク)と呼称されている。
ガラスと人類の歴史は古く、紀元前2千数百年前、古代メソポタミア地方に始まるとされるが、トンボ玉はそれから下って紀元前15世紀のメソポタミアやエジプトに起こり、色彩や複雑な技法の最も盛行したのが紀元前6世紀~後4世紀頃のローマ帝国領内地域(地中海・黒海沿岸諸国)といわれる。そこでは同心円文はじめ、花柄文、幾何学文、人面文などあらゆる技法が試され、流行した。
古代韓国のガラスの歴史は古く、紀元前2世紀の青色ガラス管玉が忠清道扶余郡から発見されている。中国の鉛ガラス原料を使ったものだが、同一の青色ガラス管玉が佐賀・吉野ヶ里遺跡からも発見(1986年)されている。韓国国産の鉛ガラス原料によるガラス玉生産は5世紀で、新羅ではコバルト・ブルーの素地に、黄色の小斑点文を象嵌したトンボ玉や、穴あきの黄色小玉を数個象嵌したトンボ玉が作られ、天馬塚、皇南洞98号南墳などで発見されている。これらはローマ帝国時代の同心円文、斑点文製品を参考にした新羅の製品である。(ついでだが、高麗青磁の象嵌技法は、こうした新羅人の古いガラス技法の伝統に根ざしているものだ)
古代から現代まで、幾十万、幾百万のトンボ玉が造られてきた。その中で、手法において精緻を極め、表現において可能な限り写美的で、世界で2例とない美感溢れる古代人面トンボ玉が新羅で発見されている。
1973年、味鄒王陵前C地区から発見されたもので、首飾りの最下部に瑪瑙(めのう)勾玉、その上に水晶切子玉、そして要(かなめ)として径1・5㌢の人面トンボ玉が使われていた。紀元5世紀のものとされる。数多い同時代にして領内の人面トンボは類型的で、画一的表情であるのに対し、このとんぼだまはせいこうかつしゃじつてきで、生気に溢れた5色の多彩トンボ玉だ。
王と王妃と思われる二人の中心人物と3人の従者らしい人物、白い顔、青い目、赤い唇。宝冠と首飾り、そして6羽の白鳥と植物文。まるでファンタジックな世界が、径わずか1・5㌢のガラス玉の中に焼き込まれている。
新羅製の勾玉や切子玉を使って、新羅で組み立てられた首飾りであるが、このトンボ玉はガラス技術の発達した黒海北岸の産とみられる。
味鄒王陵地区からは、粒金細線細工の貴石象嵌黄金短剣(本シリーズ⑤参照)も発見されている。そのスキタイ系アキナケス剣にはギリシャ渦文、月桂樹文(ローレル文)、さらにケルト巴文がある。そして人面トンボ玉の碧眼白色・細面高鼻の人物、宝冠と白鳥と植物文。この黄金宝剣と人面ガラス玉はいずれもこの種世界最良の製品である事実は、これらが戦利品や単なる偶然の交易の産物ではなく、新羅からの特注品で請求されたものとの見方が成り立つ。
従って表現されている文様や絵模様には、それらに付託された共通する文化的メッセージを伴っているものと考えられるのであり、この人面トンボ玉は、新羅文化の北方的性格を自ずと物語っている。
<筆者紹介> ハン・ヨンデ 1939年岩手県生まれの在日2世。韓国美術研究家。上智大学英文科卒。著書に「朝鮮美の探求者たち」(未来社)、訳書に「朝鮮美術史」(A・エッカルト著、明石書店)