日本における韓国語教育の課題
――梅田博之・麗澤大学教授
ネットの積極活用を 対面教育との調和が重要
韓国語教育研究会(会長・柳尚熙二松学舎大学教授)が主催したシンポジウム「日本地域における韓国語教育|ハングルの日を記念して」がこのほど東京で開かれ、韓日の専門家が韓国語の学習法や日本における韓国語教育の現状・課題などについて発表した。この中から梅田博之・麗澤大学教授の「日本における韓国語教育の課題」の要旨を紹介する。
韓国語教育導入する高校増える
日本の韓国語教育はまだきわめて不十分であり、不均衡な状況にあるといわざるを得ず、是正されなければならない。近年は、韓国および韓国語に対する関心が高まってきており、この状況を改善しようとする努力も一部でなされている。
特筆すべき動向として、第2外国語として韓国語教育を導入する高校が増え、かつ活発化しているという事実がある。関係者による努力の結果である。
98年より毎夏、高等学校韓国語教師研修会が行われており、相互研さんと情報交換のためのネットワークができている。また、2002年度からは大学入試センター試験に韓国語が導入されるということで、関係者による準備ための検討が始まっていると聞く。これもすでに3年前の第1回研修会のときにセンター試験の試験科目として韓国語を入れるべきだという問題提起を行っている。今後は、他教科と対等に高校の教育課程の中で単位を取得した学生が受験するという正常な姿を1日も早く実現させなければならない。
高校の教科課程の中に韓国語を位置付け、他方、現在担当の先生方にきちんとした韓国語教育の免許を取っていただけるような方法を考える方法を整えるなど、制度的にその基盤を整えていく必要がある。
それは、一言でいえば、韓国との交流が非常に密になったということだ。現今の韓国語教育はかつての韓国語教育に比べて学習者の条件がかなり異なってきた。かつての学習者が韓国に関し全く白紙の状態であったのに対して、現今の学習者の韓国に対する予備知識はかなり高いものがある。勿論彼らの知識はバランスを欠き、断片的であり、独りよがりの誤りや誤解が多いことが予想される。教師は彼らの予備知識を全無視してから一からはじめるのではなくそれがどの程度のものであり、どこに欠落があるかを見極めつつ、それを利用して効率よく指導に当たる方が便利であろう
第2言語教育学として位置づけを
韓国語教育に第二言語教育の視点を導入し、英独仏をはじめ現在多種多様に行われている外国語教育や外国人に対する日本語教育までも含めた第二言語教育学の中に韓国語教育を位置づけたい。
ここで私自身の従来の教授法の反省を述べておきたい。かつての教授法は文法中心主義で、発音と文法の基礎を教え、それを定着させる過程で会話の練習も行う。この方法の欠点は、言語運用能力の育成が不十分で、場面の積み重ねの経験不足からくる言語理解力の不足であった。
そもそも言語というものは、場面の経験の積み重ねであり、その場面場面に適切な言語表現を言語外表現習慣とともに会得していくことによって言語伝達能力を養うことができると考えられるから、いわゆるコミュニカティヴ・アプローチは効果的な方法と思われる。
われわれの言語取得行動を考えても、生まれて以来、場面場面での年長者の言語行動を体験する中で適切な表現を学んできたのであり、この過程の中で文法法則を無意識的に学習してきた。
そこにこの方法の有効性の根拠を求めることができると思うが、成人に達した学習者に対する第二言語教育の場である点が大きな違いである。場面と文法理解の調和が必要であり、文法規則の理解を確実にするための方策も忘れてはいけない。
場面場面での適切な表現形式の拾得はきわめて有効だが、その表現形式の中に繰り返し現れる要素、つまり文法形式と語彙を横つなぎ定着させる有効な手段を見出したい。文法の学習をどのように関係付けていくかが問題となろう。文法中心か場面中心かの二者択一ではなくて、この二つの方法の調和を求める方向で進むべきであろう。
急速に発達したインターネットは、語学教育においても学習者の主体的学習を促進するものとして積極的な活用が期待される。インターネットは直接の対面授業以外でもきめ細かい教育指導を行うことを可能にした。従来の時間的、空間的な制約から授業を解放し、制約なしに学習できることになる。
しかし、そのような情報化がいかに進んでも、対面教育は21世紀を迎えてもやは重要であり、インターネットなどによる教育と調和させることが重要であろう。語学の勉強には、その言葉が話されている地域での生活体験や学習が必須であり、留学や現地調査というものが依然として教育上きわめて重要な意味を持っていることも認める必要がある。