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2001/12/14

<韓国文化>映画人育成に「映像院」設立

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朴光洙氏(写真:左)  

授業で年に200本製作

 韓国映画の名作を紹介する「2002年日韓国民交流年プレイベント 2001韓国映画プロジェクトⅡ」(国際交流基金アジアセンター主催)が、東京・赤坂の国際交流基金フォーラムで開催中だ。同フォーラムで行われたシンポジウム「韓国における映画教育をめぐって」では韓国芸術総合学校映像院教授を務める朴光洙、朴鐘元の両監督が自身の体験と韓国映画教育の現状について語った。講演内容を紹介する。

 私が大学で学んだのは実験映画で、ストーリー性のある映画は学ばなかった。映画サークルを作り、8㍉で劇映画を作っていた。当時は撮影について教えてくれる人がいなかったので、器材もマニュアルを見て勉強した。サークルでは1年に映画を30本作ったが、私も7~8本作った。

 留学してパリの映画学校に1年通い、映画作りには準備が大切であることを学んだ。

 韓国に戻ってから映画界に入った。韓国の映画産業は若者に見向きもされなかった。そこで映画産業を育てないと思ったし、人々の関心を高めたいと思ったからだ。

 ソウル映像集団にいた頃、外国映画は年に30本しか入ってこなかった。ハリウッドや香港映画だった。いまは年に400本入って来るので情報量は圧倒的に増えた。

 また80年代初め、漢陽大、中央大、東国大、ソウル芸術大の4つだけに映画学科があった。現在は全国に40校に映画学科が出来ている。多くの大学に映画サークルが出来て、そこから人材が出てくるようにもなった。

 95年の映像院設立には委員として参加した。真の映画監督を生み出す学校とするため、フランス、オーストラリア、米国の著名な映画学校をモデルに設立した。

 授業内容、講師の選択など11人の教授陣に任されているので、自由な活動が出来る。映画器材も16㍉カメラが16台、35㍉カメラや編集器材、照明機材もそろっているので、撮影・編集など学内ですべて行うことが出来る。これだけの設備を備えた学校は世界有数だ。

 学生たちには基本の重要性を教え、後はディスカッションと現場での製作中心だ。学生は年に200本作っている。こうやっていい学生が集まるようになった。


朴鐘元氏(写真:右)  

政府が映画産業支援

 漢陽大学映画学科に入ったが、当時は映画学科に入るのは少し変わった学生というイメージがあった。卒業後はテレビ局や広告代理店に勤めるが者が多かった。

 卒業年に映画振興公社の映画アカデミーが出来たので、1期生として入学した。同アカデミー卒業後、映画界に入った。

 韓国の映画、そして器材発展の要因の1つに、ソウルで開催された86年アジア大会、88年のソウル五輪の記録映画がある。でさらに器材が入ってきた。

 80年代の末に、文化産業が世界的に主導権を握ると認識されていた。韓国政府は文化部(現在の文化観光部)を作り、音楽院、演劇院、映像院、美術院、伝統芸術院、舞踊院で構成される韓国芸術総合学校を作った。

 韓国では早いもの、新しいものを好む傾向にあり、利益になると思えば国が率先して行う傾向がある。95~99年の4年間に、映像器材の購入費だけで11億円を政府は出した。こういう基盤の上に学校が成り立っている。

 今後はじっくりと人材を育てることが重要だ。