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2001/06/01

<韓国文化>キム・ヨンジャ北朝鮮公演を終えて

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        ピョンヤンでの公演

 日本で活躍する歌手のキム・ヨンジャ(金蓮子)がこのほど、北朝鮮でソロコンサートを行った。韓国の歌手が北で単独公演するのは初めてで、キム・ヨンジャのファンという金正日総書記も見た。キム・ヨンジャの所属事務所の社長で、バックバンドを率いて指揮者として同行した岡宏(金好植)氏が北朝鮮での1週間を報告する。

 キム・ヨンジャの北朝鮮公演については、北の人たちに分断前の音楽を聞かせてあげたいと5年前からアクションを起こした。まず北朝鮮の許可が下り、韓国の許可は金大中大統領が北朝鮮に行って南北首脳会談が実現してから下りた。

 一行30人は4月5日から12日まで北朝鮮を訪問した。平壌入りして公演の打ち合わせをしているとき、北の担当者から「1時間半も何をやるのか」といわれた。北朝鮮では一人でそんなに長い公演をやることがなかったのだろう、リハーサルを見せてようやく納得してくれた。

 平壌公演のとき、会場ロビーで入場してくる人たちを見ると、皆正装というかよそ行きの格好をしており、動員された人たちのようだった。20代の若い女性もいた。

 キム・ヨンジャの声の質は北と違うため、受け入れられないのではないかとの不安があった。いよいよ幕が開き、最初の20分は女性の観客は手を合わせて「宝塚歌劇」を見るような顔をしていたが、その後は笑顔、笑顔で喜んでいた。

 キム・ヨンジャは日本のコンサートと同じように、途中、客席に降りていって観客と対話するというやり方をやった。あるおばさんに「きれいなハンボ(韓服)ですね」と質問すると、「ハンボじゃない朝鮮服です」、「だれに買ってもらったのですか」と聞くと「キム・ジョンイル様です」という答えが返ってきて、あとでキム・ヨンジャはやりにくかったといっていた。

 観客は知っている歌が出ると一緒に口ずさんでいた。最後の曲の「また会いましょう」は会場全員での合唱となった。公演が終了すると全員が立ち上がって盛大な拍手をくれた。行ってよかったと思った。

 日本へ帰る直前、北朝鮮ではちょうど「4月の春親善芸術祝典」が始まり、式典にだけ参加した。その最中、姿が見えなかったキム・ヨンジャが青い顔をして現れ、「大変なことになった」という。聞くと、金正日総書記が公演を見たいといっているという。

 翌日の最後の公演をキャンセルして急きょ、金総書記の視察先の咸興(咸鏡南道)に行くことになった。専用列車で平壌を夜中に立ち、8時間かけて日本海側の港町に向かった。

 咸興でリハーサル中に、金総書記が会いたいということで、部屋に通された。こちらはキム・ヨンジャと私と今回のコーディネーターの李チョルウ氏ら4人。ドアが開くと金総書記はつかつかと歩み寄り、「よく来ましたね」といった。いきなりだったので2、3歩後ずさりしてしまった。会見は結構緊張した。20分の約束が1時間にもなった。金総書記とキム・ヨンジャの会話はおじさんと娘が話しているようだった。

 会場に戻りコンサートのオープニング。どん帳が開くと前から5列目ぐらいに金総書記が座っていた。金総書記は「韓国の歌は詩がいい」といった。「日本語で歌ってほしい」というリクエストがあり、「釜山港へ帰れ」「イビョル(離別 )」「イムジンガン」を日本語で歌った。金総書記は1曲終わるごとに拍手をした。1時間45分の公演だった。

 公演終了後、金総書記から食事の招待を受け、キム・ヨンジャと私が出席した。メニューは、フカひれのスープ、サクラエビのワイン漬け、ギンタラのホイル焼き、ホッキ貝の刺身など豪華だった。最後に冷めんが出た。これは最高にうまかった。そのとき金総書記は、「現代グループの鄭周永名誉会長は、冷めんを3日間で朝昼晩9回も食べた」といった。会食を終え宿舎に帰ったら、バンドの連中も同じ料理を食べていた。金総書記は気配りがすごいと思った。

 会食の席で音楽に関して金総書記は雄弁だった。「あなたのバンドはすばらしい。サウンドで歌手を包み込むように演奏している。あなたの演奏を全国民に聞かせたい。うちのポチョンボは古くよくない。私は好きな曲が5曲あり、是非編曲してほしい」「韓国の歌はいい。日本の影響を受けている。うちの国の歌はチョン(情)がよくない」などと話した。

 キム・ヨンジャの歌に対しては「あなたの歌は観客と一緒に息をしている。あなたが泣けば客も泣く、あなたが笑えば客も笑う」とほめた。

 最後に金総書記は、「いつでも、どの場所でも公演していいです」と約束してくれた。今度は北朝鮮縦断コンサートを是非企画したいと思っている。