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2001/04/20

<韓国文化>文化伝来のルートたどる

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      唐津東港に入港した「王仁博士号」から上陸して歓迎にこたえる
      蔡波多所長

 日本の飛鳥・奈良文化に多大な影響を与えた王仁博士の渡航ルートをいかだでたどる「王仁博士号」の航海が無事成功した。この航海によって、先史時代から続いてきた韓半島から日本への文化伝来のルートが証明された。

 航海は、韓国古代航海探検研究所の蔡波多所長ら3人によって成し遂げられた。

 王仁博士が生まれた霊岩郡の西海岸にある大仏港を随行船とともに出発し、潮流と風を利用しながら大韓海峡を横断、佐賀県唐津までの370㌔、106時間の航海だった。

 蔡所長によると、潮の流れは10㍍から12㍍、波の高さは5、6㍍と台風を思わせるようにしけたときもあったという。

 航海に使ったいかだは韓国の古代船であるテペ(いかだ)を復元した。長さ6・5㍍、幅3㍍、帆の高さ5㍍、重さ約3㌧で、杉の木10本を組み合わせて作られたものだ。済州島に住む韓国でただ一人のいかだ大工、キム・チョンニョンさんの手によって製作された。

 今回の「王仁博士号」航海は、毎年4月に行われている「王仁文化祝祭」の企画行事として行われた。

 王仁博士は、5世紀に日本の応神天皇の招きによって日本に渡り、その際、論語や千字文など半島の先進文化を伝えた。日本では大和朝廷の官僚として儒教を導入するなど、日本の国家形成に大きな功績を残した。

 出身地の全羅南道霊岩郡には博士の功績を顕彰する「遺跡公園」が整備されている。日本では大阪・枚方市に市によって王仁塚が設置されているほか、東京・上野公園には顕彰碑もある。

 「王仁博士号」が到着した(16日)東唐津港には、唐津市関係者、唐津港振興会会員、唐津海上技術学校の生徒、在日韓国人らに加え、在福岡韓国総領事館の李南教領事や霊岩郡の閔庚・副郡主らも駆けつけ、韓日の国旗を振って出迎えた。

 歓迎式で蔡所長は、「無事唐津港に着いたのが夢のようだ。当時の船でも日本にたどり着くことができることを証明できた。今後は韓日共同でこのような探検ができたらいい」と、日焼けした顔をほころばせながら語った。

 また、唐津港振興会会長の竹尾彦己さんは、「王仁博士がどういうルートで日本にやってきたかはわからないが、今回の航海で、唐津に上陸したかもしれないというきがした」と古代の韓日交流に思いをはせていた。

 李領事は「21世紀に韓日の真の友情を築くためにも意義深い航海だった」と評価した。韓日の友好を象徴する航海となった。