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2002/11/22

<韓国文化>圧倒的な表現力再確認 「舞姫・崔承喜写真展」

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                    横江 文憲 氏

 8月から10月までの3カ月間、光州市立美術館で、光州美術館創立10周年記念・河正雄記念コレクション『伝説の人・崔承喜写真展』が開かれ、国内外から大勢の参観者が訪れた。同展を鑑賞した横江文憲氏の寄稿を紹介する。

 写真が持つ重要な機能の1つとして「記録性」を上げることができるが、この展覧会ほど、そのことを強く感じたことはなかった。

 韓国の光州市立美術館で今年8月から10月にかけて「舞姫・崔承喜 写真展」が開催され、同館名誉館長の河正雄氏に紹介されて見る機会を持った。崔承喜は私にとって、戦前の日本で活躍した世界的な舞踏家であり、著名な画家や写真家がこぞってモデルにして作品を残している、という知識しか持ち合わせず、それまで彼女の写真を見たという記憶はなかった。

 展覧会の会場に足を踏み入れて圧倒された。崔承喜の肉体が宙を舞い、その表現力の容易でないことを瞬間に感得することができた。彼女の均整のとれた肉体、そこから溢れ出る躍動的なリズムは、見る者を彼女の舞踏の世界へと誘う。また、同時に展示されているおびただしい数の印刷物やアルバム、油絵などの資料は、1920年代から1960年代に活躍した天才的な舞姫崔承喜を立体的に浮かび上がらせている。

 昭和10年頃、崔承喜の人気は絶頂にあり、恩師石井漠は、「彼女の一挙手一投足は、通常の人間の2倍の効果をあげることができる」と言い、川端康成は、「他の誰を日本一というよりも、崔承喜を日本一といいやすい。第一に立派な体である。彼女の踊りの大きさである。力である。それに踊りざかりの年齢である。また彼女1人に著しい民俗の匂いである」と書いている。

 文字だけでは、想像することはできても実感として伝わってこない。写真は、それを映像として如実に提示することができる。崔承喜の存在の重要さは、そのことよりも遥かに高い次元であり、まさに波乱万丈な人生を歩んだことを教えてくれた。

 「韓国現代舞踊の先駆者であると同時に、日本帝国植民地時代の韓国を代表する舞踊家として世界の舞台で活躍し、国を失った韓国民に慰安と希望を与えてくれるとともに、深い祖国愛を呼び起こした舞踊家崔承喜」「全盛期に北朝鮮へと越境したが最後には粛清されたことにより様々な逸話を残した」(展覧会カタログより)と書かれているように、韓国で生まれ、日本から世界へ羽ばたき、北朝鮮で消息を絶った数奇な運命であったがために、近年まで彼女の研究をすることができなかったのである。

 今回の展示は、1988年に越北芸術家たちに対する解禁措置がとられてからの研究成果である。写真フィルムは中央大学校鄭名誉教授が収集したものであり、展示物のほとんどはそれを河正雄名誉館長が形にした。調査研究というレベルでの文化交流は端緒についたばかりであり、今後、日韓両国の重要な課題であろう。


  よこえ・ふみのり 1949年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、パリ第四大学・パリ第一大学に留学、日本大学芸術研究所終了。現在東京都庭園美術館学芸係長。著書に『ヨーロッパの写真史』、共著に『ウジェーヌ・アジェ回顧』など多数。