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2002/10/18

<韓国文化>鮮烈な印象残した隣国の文化 上

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                    中根千枝名誉教授

 社会人類学の権威で文化勲章受章者の中野千枝・東京大学名誉教授。70年代初めに初訪韓、強い印象を受けてその後韓国に関心を寄せてきた。このほど東京大学大学院の「韓国朝鮮文化研究専攻」開設記念シンポジウムが開かれ、中根名誉教授は韓日文化比較などについて講演した。大変興味深い話が多く、読者の参考になると思われるので講演要旨を紹介する。

 東京大学に日本で初めての大学院専攻として韓国朝鮮文化研究専攻が発足したことを大変喜ばしく思う。韓国朝鮮は日本にとって地理的にも歴史的にも文化的にも最も近い国として重要な位置付けにあるにも関わらず、この隣人、隣国に対してこれまで研究者の数が少なく、一般レベルでも関心が低調であったのはなぜだろうか。

 実は私自身、韓国を訪れるまでは韓国朝鮮に対して、漠然として断片的な認識しか持っていなかった。

 私が初めて韓国を訪れたのは今から30年前、1972年12月に開かれた国際会議に招かれたときだった。そのときの印象は強烈なもので今でも鮮明に覚えている。それは次の3点に要約できる。

 まずソウルの飛行場に降り立ったときの空気の冷たさに驚いた。そしてこれは北京と同じだと思った。私は少女時代、北京で過ごしたので、突然北京の感覚が突然蘇った。日本では寒いという感覚だが、冷たいというのが冬の大陸のものだと思う。朝鮮半島は日本列島と連続しているほど近いが、半島というのはまさに大陸の一部だということを痛感した。そして日本よりもずっと中国に近いのだということを改めて感じた。  

 第2に強く感じたことは、両班の伝統的な雰囲気だ。と言うのは、例えば数人の大学関係の知人がサロンでくつろいで話している雰囲気は、大学とか専門とか年齢の違いを超えたいわゆる同類の親和感が漂っていて、実によいものだった。これは身に付いた礼節のスマートさと共にリラックスした知的で楽しげな雰囲気なのだ。この雰囲気は韓国で初めて接した。こういう雰囲気は日本にも革命を通過した中国にもない雰囲気だ。

 誤解のないように言うと、彼らが両班だからというよりは、両班の社会的、知的伝統が近代的な形で現実に生きているということだ。

 このことを日本との対比で考えてみると、朝鮮半島は中国と直接接しているし、500年にもわたるの朝鮮王朝の時代を持っていること、そして両班制度の発達ははるかそれ以前からのものであるのに対して、日本の武士の伝統は江戸時代300年弱という短さだけでなく、その階層として両班のように深く社会に根付いたものではなかった。むしろこれは政治的に設定された制度だった。

 さらに重要なことは、両班の重要な特色のひとつである学問は重視されないで、文ではなく武の性格を強く持った階層として文人としての伝統がないと言える。日本にも文人はあったが、武士階層とかあるいは両班階層のような社会における明確な階層としての文人の伝統は日本では発達しなかった。その理由に武士の性格、武士階層の性格が非常に影響しているのではないかと思う。このへんに韓国朝鮮との大きな違いがあるように思われる。

 第3の点は、驚くほどの男性社会の存在があるということ。例えば男女の別の厳しさというか根強さがあるということだ。「男女7歳にして席を同じうせず」とか男尊女卑といった中国製の考え方は、それを受容した社会において一層極端になるものと思われる。日本では男女の別は韓国朝鮮ほど制度化されなかったが、男尊女卑の観念は中国のそれとは相当違ってある意味では、極端なところまでいっていた。これに比べ韓国では現実の生活において昔から母親はいうにおよばず姉妹、妻たちは大変強い存在だった。

 中国における男女の関係は単なる上下とか別といったものではなくもっと複雑な側面を持っている。例えば、母親は息子より上位に置かれるし、恐妻家の男性はとても多い。さらにどんな場面でも口論になると、女が勝つことになっている。日本ではそういうことはなくて、女性全てがあらゆる面で単純に男性の下に位置づけられていた。その表れは滑稽なほど社会生活の随所に見られた。しかしこれには武士の伝統の影響が強く、その体制が崩れるに従って現実には男性の都合のよいときに男尊女卑が使われるようになり、韓国のような政治的強さはないものだった。朝鮮では徹底した中央集権が貫徹され、日本では封建的な幕藩体制といった違いからもその文化、社会の発達の仕方が相当異なっているのは当然である。

  なかね・ちえ 1926年東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業。のち、ロンドン大学で社会人類学を専攻。文化勲章受章。学士院会員。文化人類学者・東京大学名誉教授。