恒例の高麗山聖天院(しょうでんいん)大施餓鬼会とW杯韓日共催成功ならびに韓日国民交流年を記念した、在日韓民族無縁之霊慰霊のための日韓合同献歌が5日、在日韓国人文化芸術協会(金好植会長)主催のもと、高麗山聖天院本堂ならびに在日韓民族無縁之慰霊碑前で多くの人々が参加するなか行われた。時調の会の金一男さんに報告をお願いした。
埼玉県日高市に『高麗の郷』はある。蛇行する高麗川の清流を見おろす丘の上に、聖天院勝楽寺の伽藍と高麗神社とがならび立つ。聖天院は、660年に滅亡した高句麗の遺民をひきいて渡来し、高麗王(こまのこしき)として1799人の同族とともにこの地を拓いた若光に由来する。730年に高麗王若光が没した後、若光の念持物であった大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の尊像を本尊として、751年(天平勝宝3年)、僧勝楽により若光の菩提寺として開基されたと伝えられる。現在は真言宗宗智山の名刹となっているが、山門のかたわらに若光王の墓がある。
この聖天院では、差君11月3日、新本堂の落慶法要とあわせ、『在日韓民族無縁之霊碑』の除幕式と慰霊祭が多くの関係者を集めて行われている。『在日韓民族無縁之霊碑』は、在日1世の尹炳道(72歳)が施主となって建てられたものだが、各地に眠る関東大震災の朝鮮人犠牲者の供養が当初の動機であった。高さ16㍍の慰霊塔の基部には納骨堂画備わり、「関東大震災、群馬県朝鮮人犠牲者の名簿(17人)」「同、埼玉県朝鮮人犠牲者の名簿(207人分)「三井・三菱美唄炭鉱朝鮮人志望者の名簿(573人)」など、4310人の名簿が安置されている。
現在、慰霊塔の周囲はきれいに整地され、向かって右手には、檀君・高句麗広開土好太王・新羅太宗武烈王・王仁博士などの石像がならび立って、民族再統一とともに韓日友好の理念をも象徴している。左手には、休息所をかねてソウル・パゴダ公園の八角亭を模したあずま屋もある。
この聖天院で9月5日、恒例の大施餓鬼会が盛大に行われたが、この法要にあわせて、「在日韓国人文化芸術協会」の主催で、『在日韓民族無縁之霊慰霊・W杯共催成功祝賀・日韓国民交流年記念/韓日合同献歌』の催しが行われた。共催、「多摩歌話会」(藤井徳子代表)・「在日の時調(三行詩)の会」(蔡春夫代表)。
300人あまりが参集した大施餓鬼会のしめくくりとして両会代表の献歌が本堂で朗読されたあと、同協会と両会の関係者およそ40人が慰霊塔の前で黙祷をささげ、献歌者全員による読唱を見守った。行事終了後、懇親会が持たれ、詩歌の創作をつうじた地道な国民的交流の充実に今後とも努力することを誓いあった。
聖天院の所在地は、〒350-1243埼玉県日高市新堀990-甲。℡0429・89・3425。(交通)西武池袋線高麗駅下車徒歩20分。慰霊塔の区域は、山門から階段をのぼりつめて、本堂の左手を進んだ奥にある。