朝鮮通信使の通り道として有名な”国境の島”長崎県対馬の厳原町では、1980年から毎年「対馬アリラン祭り」と題した朝鮮通信使のパレードが行われ、韓国からも多数の関係者、観光客が訪れている。同パレードに毎年参加している小田切裕子さん(右から2人目・会社員、横浜市在住)に、「私の朝鮮通信使寄稿(対馬編)」と題して寄稿してもらった。
福岡空港を離陸後、玄界灘から壱岐上空を通過し、眼下に浅茅湾が見えてくると飛行機は着陸態勢に入り、僅か30分足らずのフライトで滑走路へとアプローチ。そこがロマンあふれる“国境の島”長崎県対馬である。
慶長14年、江戸幕府で条約が結ばれて以来、約200年の間に12回にわたり、朝鮮朝から500人にも及ぶ使節団が、徳川幕府の慶事や将軍の代替わりの度に漢城(現ソウル)を出発し、釜山、対馬、壱岐を経て下関から瀬戸内海を東へ進み、大阪から淀川を上って京都に入り江戸まで行進し、徳川将軍と国書を交換した。
朝鮮通信使は、日韓の文化交流・親善友好等、偉大な足跡を残した。
毎年8月第一土・日曜日に開催される「対馬アリラン祭り」のクライマックスでは、朝鮮朝の朝鮮通信使行列が再現される。この祭りは、1980年に地元厳原の商工会の人々が中心となり、「港祭り」として発足し、当初100人程度の行列が行われた。
87年には県からの補助金を受け、釜山からの舞踊団も加わり更に韓国色豊かな大規模なものとなり、過去多い時では約460人もの行列が、厳原の町を練り歩いている。
この祭りを通して、対馬に住んでいる人々が、古代韓半島との関わりを再認識し、アリラン祭りを後世に継承していくべく、毎年一丸となって祭りを盛り立てている。
今年も厳原の商店街には「対馬アリラン祭り」の旗がたなびき、祭りムード一色といった趣で、韓国から参加したあどけない子供の韓服姿はとても愛らしく、観光客から「かわいい!」「チョアヨ!」の声しきり。
子供に負けじと目に鮮やかな原色の韓服を身にまとうと、いつしか私もいにしえ人、遠い昔に思いを馳せ、現代の朝鮮通信使絵巻といった感じなどと情緒に浸っているのも束の間、炎天下で韓服が汗でまとわりつき、1時間にも及ぶ行進で国書交換が行われる最終地点の厳原港に着くころには、へとへとになっている。
国書交換の儀式の後には長崎県知事のあいさつもあり、日韓共催W杯の開催された年のせいか、町民の思いも例年以上に盛り上がっているようだ。その町の人からは、「今年も来たんかね」とよく言われる。
今年で10回目の来島になるが、この季節になるとソワソワわくわく!自然と気持ちと共に足も向いてしまい、自分でも不思議なぐらいである。素朴で気取らない心優しい町の人々に引きつけられていることも、来島の理由の1つかもしれない。
対馬アリラン祭りは、日本と韓国を繋ぐ民間レベルでの真の心の交流と言えるだろう。また、アリラン祭りを通して、「誠信交隣」の精神が共有され、相互理解が深まり、回を重ねる毎に絆は強くなっている。
2年後には、厳原町はじめ、3つの町が合併し対馬市になるとのこと、この日韓交流のイベントとも言える対馬アリラン祭りが、ますます発展することを願ってやまない。