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2002/07/12

<韓国文化>韓日友好伝える現代の通信使

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          秋田県庁での制作発表会(今月5日)

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                    河 正雄 氏

 8月25日から来年1月26日まで、秋田県たざわこ芸術村内のわらび劇場でミュージカル「つばめ・チェビ」公演が行われる。韓国との交流を活発に行っているわらび座による同作品は豊臣秀吉の朝鮮侵略、徳川時代の国交回復、朝鮮通信使の派遣に至る激動の時代を生きた人々をテーマにしたジェームス三木脚本・演出の意欲作だ。同劇団の活動を支援してきた河正雄・光州市立美術館名誉館長に、今公演の意義について寄稿してもらった。

 日本は江戸時代を「鎖国」時代と教育しているが、この時代、朝鮮とは唯一国交があった。日本に派遣された文化施設団「朝鮮通信使」による「通信」すなわち外交、そして貿易があった。この史実について近年認識が新たにされ韓日関係が見直されるようになった。

 通信使は儒学や韓詩文、山水画、人物画、即興画、医学の知識など学問的見識の高い文化を伝播し日本文化発展に寄与した。当時、日本民衆は使節の一行から多くのものを学び異文化体験を通して朝鮮人蔑視の偏見を正していった。朝鮮通信使は文化交流と相互認識を深めた歴史的な遺産である。

 「つばめ・チェビ」は吉鳥で一年を通してともに行動する番(つがい)の鳥である。春には前年の古巣に帰り、国と国をかけ自由に行き交う韓日で愛されている縁起を担ぐ渡り鳥である。脚本・作詞・演出のジェームス三木氏は、「4百年前の韓国と日本を舞台とした『誠信の交わり』とは何か」を描きたいのだという。

 そして、「豊臣秀吉によって国土を踏みにじられた朝鮮国は、秀吉の死後に天下を掌握した徳川家康の国交回復の要請に応えて朝鮮通信使を日本国に派遣した。『文』を以って『武』に酬いた朝鮮通信使の心を我が心とし『文』を以って『武』をしのぎたい」とメッセージした。

 「誠信の交わり」とは雨森芳洲(朝鮮使節の外交接待役として対馬班に仕えた儒学者)の理念である。まず相手を知ること、そしてお互いに欺かず争わず信実を以って交わる誠心の人であった。お互いの文化を尊重、理解することに友好の基盤とした日本の国際見識の先駆者である。

 ミュージカルは「朝鮮通信使」の壮麗な絵図をバックに幕が開く。朝鮮国から友好の証として朝鮮通信使が訪れ、名主の半兵衛の歌唱から物語は始まる。通信使の一人、李慶植は饗応の席で思いがけなく10年前に水死したはずの妻(春燕)に再会するが春燕はお燕と呼ばれすでに彦根班の武士、水島善蔵との間に子を成す身となっていた。慶植と善蔵、2つの愛と2つの国の狭間でお燕は苦悩する。海を越え愛は2つの国を架けるというあらすじである。この公演は来春、わらび座劇場公演終了後、日本各地を巡回し、またハングルで韓国公演も計画している。

 わらび座は1951年、戦後間もない焼野原の東京で、活動を開始した。朝鮮戦争の勃発を契機に、2度と軍備を持たないはずの日本で再軍備が進められた。戦争反対と民族独立の歌声、これがわらび座の出発点であったという。日雇い労働者の作業現場を巡回する移動劇団の中心演目は許南麒の詩を元にした「朝鮮冬物語」であり、アリランやトラジなどの歌・踊りに多くの在日同胞たちがチョッター(いいぞ)の声をかけ拍手を惜しまなかったという。

 わらび座が私の故郷である秋田県田沢湖町に移り定住して51年になる。

 そして1995年、私は父母の故郷韓国光州市で開かれた東洋で初めての国際美術展「光州ビエンナーレ」の祝祭行事にわらび座を招待した。戦後初めて、海峡を越えて日本の伝統的な踊りや太鼓が響いたのである。私にとって、今まで生きてきた人生の内で数々の出来事、節目があったが、韓国でわらび座公演の実現とその圧倒的成功は最も輝かしい一頁として大きな比重を占め誇りとしている。

 この度のわらび座「つばめ・チェビ」公演は、長い韓日友好の歴史を次世代に伝える現代の通信使となることだろう。


日程:8月25日~2003年1月26日
場所:わらび劇場(秋田県田沢湖町)。
料金:一般3,000円(2,500円)、小・中学生2,000円(1,700円)※( )は前売料金
℡0187・44・3915(わらび劇場)。


  ハ・ジョンウン 1939年、東大阪市生まれ。秋田県立秋田工業高等学校機械化卒業。株式会社かわもと代表取締役。光州市立美術館名誉館長、在日韓国人文化芸術協会第3代会長。