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2002/06/28

<韓国文化>韓日オペラ交流に尽くした故沖広治氏

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    沖氏がコーディネートした韓国オペラ「春・春・春」の日本公演(2001年1月)

 韓日オペラ交流に尽くし、音楽界発展のためにジロー・オペラ賞を制定するなど数多くの業績を残した沖広治さんが、2001年11月10日、心不全のために亡くなられた。7月5日には都内で、「ジロー・オペラ賞記念コンサート 沖広治さんを偲んで」が開かれる。沖さんと親交のあった竹澤嘉明・東京室内歌劇場運営委員長(顔写真)に、寄稿をお願いした。

 今年3月14日、韓国オペラ界は、韓国国立劇場において「沖 追慕音楽会」を催し、沖さんの遺徳を偲んだ。李揆道女史のオペラアリア(「ルクレシア・ヴォルジア」より)、呉 鉉明氏の「荒城の月」等、韓国を代表するオペラ歌手による深い哀悼の調べに続き、日韓合作オペラ「超越」(姜 碩煕作曲、中村 栄台本)の合唱が静かに会場を包んだ。

 「ジロー・オペラ賞」(日本のオペラ界関係者の功績を顕彰育成)を創始し、永年に亙って日本のオペラ界に多大な貢献をされた故沖広治さんは、心不全のため2001年11月10日逝去された(享年73歳)。

 音楽を愛した沖さんは、故入野義朗、戸田邦雄氏等と共に「20世紀の音楽を楽しむ会」(67|71)を、沖さんの設立したジローフーヅ株式会社(現、ジローレストランシステム株式会社)で催し、当時最新の現代音楽シェーンベルク、ストラヴィンスキー、サティー等の作品を演奏、音楽界の注目を浴びた。

 これは人前には出る事のない沖さんのメセナ活動の原点でもあった。そこでの「実験オペラ」の上演は今日まで、東京室内歌劇場はじめ数多くのオペラ公演、コンサート等に援助の手を差し伸べ、その軌跡は「ジロー・オペラ賞」へと続いた。

 沖さんはまた、韓国ソウル郊外のハンセン氏病施設の聖ラザロ村に寄付を続ける一方、日韓の音楽交流に力を注ぎ、数多くの日韓のオペラ歌手、音楽学生に援助の手を差し伸べた。沖さんの晩年の行動の軌跡には、日韓の音楽交流が顕著となっていた。

 聖ラザロ村の李神父との会話で、「かって苦しい時に手をさしのべて下さった日本の皆様方の善意に報いるために、忘れないために」の言葉に対し、沖さんは即座に「日韓共同制作の室内オペラを3つ作りましょう」と、その後10年にわたって日韓オペラ交流の要として貢献された。

 その成果は日韓合作オペラ3部作(91―00)、オペラ「人は知らず-おたあ・ジュリアの殉教-」(李演国作曲 中村栄台本)、オペラ「超越」、オペラ「愛の輝き」(白ピョンドン作曲 中村栄台本)を産み出し、日韓の各地で上演され、日韓合同公演の大きな足跡を残した。

 カトリックを背景にしたこれらのオペラは、日本人の台本、韓国人の作曲によって生まれ、加えて日韓のオペラ歌手の共演で上演された。日本のオペラ作品が未だ定着したとは云えない当時には、時期尚早、無謀とも見える上演でもあった。

 2001年春、沖さんのコーディネートにより、韓国国立オペラ団と東京室内歌劇場による日韓共同制作公演(文化庁・国際共同制作公演助成)、韓国の新作オペラ「春・春・春」(李コンヨン台本・作曲)、と日本のオペラ「虎月傳」(田中均作曲 中村栄台本)が上演された。

 これは日韓両国が各々自国のオペラ作品を最善の状態で上演する一方、互いの作品を韓国人歌手は日本語で、日本人歌手は韓国語で上演するものだった。

 「お互いの文化を確認しあい、我々は自分のルーツを韓国の人たちに見せる事になる。彼らは自分たちを経由した文化がどう昇華されたかがわかる」(演出家・栗山昌良)の成果は、ワールド・カップに劣らぬ日韓音楽文化交流の真の幕開けではあった。