信楽焼で知られる滋賀県・信楽町にある町立小原小学校は、韓国陶芸のメッカである利川市の新屯初等学校と2000年11月に姉妹校の提携を結び、児童による陶芸作品の交換などを行ってきた。韓日国民交流年の2002年には、夏休みを利用して両校の児童代表が相互訪問し交流を深め、その成果をもとに今年も児童代表の相互訪問が行われる。「子どもたちは言葉が通じなくても心が通じた。交流とはそこから始まる」と語る摺本圭治教頭先生に、寄稿をお願いした。
新屯小学校と姉妹校提携を結んでから初めての韓国訪問は、2000年の夏だった。ソウル空港に到着、新屯の先生と通訳の方が出迎えてくれた。お会いした多くの方々の表情が今でも印象に残っている。「訪問して良かった。受け入れられた」と感じ、人々のあたたかさが伝わった。その時、このことを日本でどのように伝えようかと思った。
僅かな時間であったが、海剛陶磁器美術館やホームステイ先で、青磁の歴史を学ぶことが出来た。青磁という焼き物の歴史が途絶えた時、そこに生活する人々の苦難の歩みがあった。しかし、先人は途絶えた青磁を復活させた。
私は、そこに関わる日本の歴史を顧みた。青磁を通して、知らず知らず心深くしみ入り、震わせられる歴史に出会った。これも文化院の方達の私への出会いの創造であり、配慮だろう。人と人、教科書、等様々なものとの『正しい出会い』の大切さを教えられた。
信楽の陶芸家の中にも、その歴史をひもとき、先人の思いを韓国にはせ、92年から利川市の文化院との交流を始めた人がいた。このことが今、小学校同士の交流となった。利川市長、教育長両氏を表敬訪問した時、「学校間にとどまることなく学校から地域住民への交流を」と、異口同音に言われた言葉を思い出す。
韓日国民交流年がスタートした2002年の2月、新屯小学校を訪れた。コンピューター室では、子ども達が盛んにインターネットで資料の収集をしていた。教室はランで結ばれ、学習に必要な資料が大きなテレビに流され活用されていた。英語学習も小学校3年生から始められ、もう6年を経過する。陶芸教室には、大きな窯と学習に事欠くことのない機材と広い部屋がある。次世代にかける住民の熱意と夢を感じた。
そこに勤務される先生方は韓国全土から来られている。青磁、書道、障害児教育等、どの分野も韓国の先端を歩んでおられる研究熱心な先生ばかりであった。子どもも生き生きとし、学習に向かう眼差しが違った。
そして同年夏、信楽の子どもが利川で青磁の体験をした。利川の子どもが信楽で信楽焼きの体験をした。中でもホームステイが良かった。この取り組みで、何人の人が関わっただろう。新屯の子ども達の夜の食事に、小原小学校の親はみんな悩んだ。人を迎える楽しい悩みだ。焼き肉をした家、レストランに行った家、流しソーメンをするのに竹を切り準備をした家、等々様々である。それがいい。新屯の子ども達は帰って、それぞれの体験を話すだろう。日本にもいろんな生活があることを。交わることのできた心を。それぞれの方法で伝えられる。
交流とは、人と人との交わりの中で、時を経ていくものである。時を経、根を絶やさないことが大切なのだ。小原小学校の子どもは、感想に書いた。「言葉が通じなくても心が通じた」と。私も同じだった。差別や偏見が渦巻いたとき、互いを結びつけた共通の文化である焼き物の歴史に戻ればいいのだ。人々の生活が宿り互いの先人が作り上げた文化、純粋な芸術に高めてきた陶芸の歴史に。
日韓国民交流年を含め、この3年間で5回の訪韓。3回の来日があった。今年も焼き物という文化交流が、子ども達を中心に開かれる。そして、多くの地域住民の関わりが生まれる。
新屯の子ども達が来日したとき、小原学区に、大人や子どもの口から「アニヨンハセヨ」「カムサハムニダ」と韓国語が広がった。私たちは、両国の子ども達に夢と希望がわき出る『正しい出会い』を創っていきたいのである。