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2003/03/07

<韓国文化>円熟の極みに達した鄭京和

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    ふじい・こうき 1967年生まれ。京都市立芸術大学大学院修了。日韓音楽交流史を研究。現在、島根大学教育学部助教授。

 韓国出身の世界的ヴァイオリニスト、鄭京和が7月、第5回東京国際音楽祭「スーパーワールドオーケストラ(SWO)」に出演するため来日する。日本でも高い人気を誇る鄭京和の音楽の魅力は何か。鄭さんと親交のある藤井浩基・島根大学助教授に寄稿してもらった。

 開演のベルが鳴り、鄭京和がステージに姿を見せた瞬間、ホールの空気は一変する。演奏空間を確かめるように客席を見渡しながら、足早に中央へ進む姿は、背筋が反り華奢な体躯を感じさせない。聴衆の緊張を解きほぐす一瞬の微笑みをふるまうと、仁王立ちになり静かに楽器を構える。すでに空間は彼女の呪縛の中にある。そして全身全霊を尽くした凄絶な演奏が繰り広げられるのである。

 今年でデビュー35周年。韓国が生んだ世界の楽壇の至宝・鄭京和は、輝かしいキャリアとは対照的に、今なお神秘的なカリスマ性に満ちている。

 欧米で次々に一流の指揮者、オーケストラと共演を重ね、協奏曲を中心に、飛ぶ鳥落とす勢いでキャリアを築いた20代。協奏曲に加え、ソナタ、小品集、室内楽の分野にも圧倒的な強みを発揮し、キャパシティの大きさを知らしめた30代。世界の最高峰に立つバイオリニストとして、また妻として、2人の男児の母として、演奏活動と家庭の両立を見事に成し遂げた40代。音楽と謙虚に向き合う妥協のない姿勢は、35年間まったく変わらない。

 98年5月、私の地元鳥取県米子市に新しいホールが完成し、鄭京和を迎えて柿落としが行なわれた。私は実行委員会の取りまとめ役として米子滞在中の彼女に付き添っていた。忘れられないのは、本番でバッハの無伴奏パルティータ第2番をひき終え、舞台袖に帰ってきた時の形相と叫び。

 終曲シャコンヌをひききった後、しばらく茫然自失とホールに立ち尽くし、割れんばかりの拍手に辛うじて頭を下げると、袖へと倒れこむように入ってきた。髪はみだれ、息は上がり、全身からほとばしる汗がライトに照らされている。まだ没我の状態から抜けきれていない。そして私の顔を見るなり「藤井さん、もう死にそう。水をちょうだい。」と搾り出すような声で訴えた。そして、ミネラルウォーターを一気に飲み干して我に帰ると、何事もなかったかのようなすがすがしい表情で、カーテンコールに再び出ていった。

 ほんのつかの間の出来事で、切りかえの鮮やかさと強靭なパワーには驚嘆した。しかし、それ以上にまさに身を削り、自らをギリギリまで追い込みながら、演奏に命を賭けている鄭京和の姿は、私の人生最高の音楽体験として、脳裏に焼きついて離れない。

 あれから5年。50代半ばを迎え、円熟の極みに達した鄭京和を聴くチャンスが、再びめぐってきた。7月の東京国際音楽祭「スーパーワールドオーケストラ(以下SWO)公演」にソリストとして登場し、指揮はベルナルト・ハイティンクの指揮でブラームスのバイオリン協奏曲を演奏する。SWOは、世界トップクラスのオーケストラから選抜されたメンバーで、この音楽祭のために構成され、すでに日本でもおなじみとなっている。

 ブラームスの協奏曲は、一昨年サイモン・ラトル指揮ウィーンフィルとの録音がCDリリースされたばかりだが、今シーズンも、デュトワ指揮フィルハーモニア管、モントリオール響、プレヴィン指揮ニューヨークフィルなどとこの曲を共演し、さらなる究極のブラームスをめざしている。鄭京和の飽くなき追求が、SWOとどのように結実するか。鄭京和は、ますます耳目をそらすことのできない芸術家である。


 
◆「ブラームスの夕べ」公演日程

 7月14、15日の午後7時、東京・赤坂のサントリーホールで開演。S席2万円、A席1万8000円、B席1万5000円、P席8000円。問い合わせはS・T・ジャパン℡03・3406・0895。まで。