ソウル日本人学校の佐々木典子さんは文部科学省派遣の国際交流ディレクターだ。日本人学校を中心とした現地との交流、国際理解教育の推進、現地社会に対する貢献といった三つの柱を実践するために、文部科学省が100近くある世界各地の日本人学校の中から10校(11校)に毎年派遣しているのが国際交流ディレクターで、1990年から始まった。
この国際交流ディレクターは教師とは限らない。現地社会に精通し、現地の言葉ができる企業退任者もいるという。冒頭の三つの柱をどう進めていくかは、ディレクター個人の情熱とやわらかい考え、そして現地へ傾ける愛情にかかっている。
佐々木さんはさまざまな分野の専門家たちとコンタクトをとり、こどもたちや父母、教師たちが接する機会をまずつくった。一昨年はマリンバ奏者の安倍圭子さん、指揮者の外山雄三さん、東京リーダーターフェル男声合唱団、劇団「昴」の杉本了三さん、東京大学の宮嶋博史さんたちが日本人学校を訪れた。
安倍さんや外山さんは公演で来韓中のところ、主催者であるオーケストラの好意でスケジュールが調整され、快く学校の体育館に姿を見せた。二人とも高いステージの上からではなく、こどもたちと同じ体育館の床に立ち、話しかける時はやさしく、演奏は緊張感あふれ、こどもの問いかけにはざっくばらんに応じていた。
“外山さんを囲む会”には京畿道少年少女大グム(テグム)合奏団をゲストに迎え、韓国の音楽を披露してもらった。彼らの演奏が始まるとすぐ舞台の袖まで行き、食い入るように見つめていた外山さんは、演奏が終わるとこう話した。
「音楽に国境がないっていうけど、それは違うな。よその国の音楽を理解することはできない。でもその国の音楽を素晴らしいと感じたり、感動したりする気持に国境はないんだ」「音楽はわかるものじゃない。音楽を好きだと思うこと。それが大事なんだ」
この会は7月におこなわれたが、学校の児童・生徒や父母といった関係者だけではなく、隣の京畿女子高の教師たち、ゲスト出演したテグム合奏団の父母たちも多く参加していた。こういった催しを通し、現地の人たちに日本人学校を知ってもらい、学校を通して日本が持つさまざまな顏を見てもらうことは大切なことではないだろうか。そのきっかけがこうした音楽家の学校訪問によって作られるなら、こんな素晴らしいことはない。
今年の1月22日。ソウルの空には雪が舞っていた。この日、2人の歌声が日本人学校の体育館を包んだ。韓国声楽界の大長老、バス・バリトン歌手の呉鉉明(オ・ヒョンミョン)さんと学校の音楽教師でソプラノ歌手、坂田泰子さんの歌声だ。音楽会は日本の唱歌「冬の夜」の二重唱で始まった。
「声楽は声だが、美しい声、きれいな声だけが音楽ではない。声だけで芸術は生まれない。詩がある。ことばや内容によって表現を変えなければならない」という呉さんは歌手生活が60年になろうという大ベテランだ。その呉さんは日本人学校のこどもたちのために、韓国歌曲「麦畑」と「先駆者」に自作の日本語歌詞をつけ、韓国語と日本語で歌った。韓国歌曲の演奏にかけては右に出るものがいないという呉さんの演奏歴に、特別なメモがつけ加えられたのではないだろうか。
「音楽を通して韓国、韓国人を、また日本、日本人を知ってもらいたい。日本人学校がその拠点になったらどんなにいいか」と熱く語る国際交流ディレクター佐々木さんの任期はあと一年。彼女の蒔いた種がいつ、どんな花を咲かせるのか見守って行きたい。
とだ・ゆきこ 国立音楽大学声楽科卒業。元ニ期会合唱団団
員。84年度韓国政府招へい留学生として漢陽音楽大学で
韓国歌曲を研究。
現在、BELMONDエージェンシー・ディレクター。
著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木社)。