両手を大きく広げた呉鉉明さんの笑顔。呉さんが十日間ほど滞在した習志野の町の人たちはこの笑顔にまた会いたがっている。
「わぁ~っ!かつらじゃないよ~!」。習志野市立大久保小学校でのコンサート“聞いてみよう、かん国の歌”を終え、さあ帰ろうと車に乗り込んだ呉さんを呼んだ男の子がいた。窓を開けると髮をグイッと引っ張る。どうしたのかと尋ねると「僕たち、賭けをしたんです。先生の髮がかつらかどうかって」「君はどっちにしたの?」「僕はかつらじゃないほう」「じゃあ勝ったよ。かつらじゃないよ」「わぁ~い、かつらじゃないって!」。男の子は友だちのところに駆けていったそうだ。
「こんなことは初めてでね。アハハハ」。体中で笑う呉さん。
「聞いてみよう、かん国の歌」は10月28日、大久保小学校の体育館でおこなわれた。プログラムの中に児童が歌う「半月」があった。この歌は日本の音楽教科書に載っている韓国の歌のひとつだが、800人の児童、そして教職員全員が歌った。日本語と韓国語で。学校ではこの「半月」を10月の歌として取り組んだというが、「まさか先生たちも韓国語で歌うとは」。呉さんは驚きの表情を隠さなかった。
呉さんはここで「のみの歌」(ムソルグスキー曲)を呉さん自身の日本語訳で身ぶり手振りで歌った。コミカルな内容でこどもたちは素直に反応した。クスクスとよく笑った。そして歌い終わったとたん高学年のこどもたちから「もう一回、もう一回」の手拍子が起き、ついには全校での「アンコール」合唱となった。
あるこどもは家に帰ってすぐ「のみの歌」のまねをし、こう言ったとか。
「もう一回歌ってほしかったのに、時間がないからダメだって呉先生は言ってね。すごく残念だった」
その数日後、習志野市民会館では呉鉉明さんを迎えた音楽会、「歌の旅人 ノレ ナグネ」が開かれた。主催は習志野市在住の音楽仲間「町の音楽好きネットワーク(町ネット)」だ。
歌、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、サクソフォンという構成の町ネットに呉鉉明さんが加わっての韓国歌曲中心のプログラム。そのほとんどは原曲の精神をより生かしたアレンジだった。
遠くから吹いてくる風が、麦畑に細かいさざ波をたてるような、ピアニスト二人、四手によるピアニッシモのトレモロで始まった幕開けの「麦畑」。
「 ふり返っても誰も見えず/夕焼けの虚しい空だけが/私の目に広がった」
呉さんの声が客席に流れ、ひとりひとりの胸にゆっくり、静かにしみ渡って行く。市民会館の空間が凪いでどこまでも広がる海になったようだ。
「その家の前」「思い出」と呉さんのソロ、そしてサクソフォンソロの「去り行く舟」と続き、一部の最後は「荒城の月」。聴衆ひとりひとりの心に呉さんと町ネットが奏でる歌が刻み込まれていった。
「麦畑」で呉さんの声を聞いたとたん涙があふれてきた。「荒城の月」を聞いたらなぜか涙がこぼれて 。とにかく涙、涙だった。今でも呉さんの歌を思い出すと泣きたくなるといった声が、音楽会が終わって一カ月たった今でも聞かれる。
「歌の旅人」であり「歌の詩人」である呉鉉明さんは2000年、月刊朝鮮の「100人の音楽家が選ぶ『韓国最高の声楽家』」に、また2003年、東亜日報が選ぶ「韓国最高の声楽功労者」に挙げられ、韓国内で芸術家におくられる賞という賞はすべて受賞しているといっても過言ではないほどの声楽家だ。 その呉さんが小さな町に残した魂を揺さぶる歌と笑顔。町の人たちは「また来てくださいコール」の署名を始めた。
とだ・ゆきこ 国立音楽大学声楽科卒業。元二期会合唱団団員。84年度韓国政府招へい留学生として漢陽音楽大学で韓国歌曲を研究。「町の音楽好きネットワーク」ディレクター。著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木舎) 。