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2004/11/12

<韓国文化>女性文化をつくろう

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       イム・スルレ監督『美しき生存―韓国映画界の女性たち』より

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    イム・スルレ  1960年仁川生まれ。漢陽大学英文科を経て、同校大学院演劇映画科へ進む。10代の若者像を描いた『Three Friends』で長編デビュー。最新作はオムニバス『もし、あなたなら』の中の1作『彼女の重さ』。

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    イ・ヘギョン  1952年生まれ。FAN(女性文化芸術企画)代表、ソウル女性映画祭代表。

 第17回東京国際女性映画祭がこのほど、東京・渋谷の東京ウィメンズプラザで開かれ、関連企画としてシンポジウム「日韓女性映画人は今」が行われた。韓国からは、映画『美しき生存-韓国映画界の女性たち』のイム・スルレ監督(写真・2番目)、ソウル女性映画祭代表のイ・ヘギョンさん(写真・3番目)が、韓国映画界の現状と女性監督の果たすべき役割について報告した。その要旨を紹介する。

◆イム・スルレ(映画監督)◆

 私が作った映画『美しき生存-韓国映画界の女性たち』は、現在もなお女性監督が少ない韓国映画界において、往年の女性監督の活躍を振り返った映画だ。50~60年代に活躍した監督のパク・ナンオク、編集のキム・ヨンヒさんといった初期の製作者たちから、将来の活躍が待たれる現在の若い才能までを取り上げている。

 女性がほとんど活躍していなかった50年代に、厳しい女性差別に直面しながら、彼女たちは女性の経験、記憶、恐れ、喜び、希望を明確に発言することによってスクリーンに忘れられない痕跡を残した。

 このドキュメンタリーをつくることで最も得をしたのは自分自身だ。困難を乗り越える勇気や、映画を作り続ける情熱に必要な知恵を学ぶことができたからだ。私は時代に恵まれて、今の立場に立つことが出来た。時代が違っていたら映画監督にはなれなかったかもしれない。

 日本の映画界は韓国よりも歴史が古く、また女性監督も羽田澄子さんのような素晴らしい女性監督を輩出している。

 韓国映画界では、これまで現場での掌握力が必要だった。大きな声を出してスタッフをどなりつけたり、どれだけ現場でリーダーシップを取れるかが大事だった。それが、システムの変化により女性の視点、繊細さで描かれたシナリオ、撮影が映画の成功を左右するようになっていった。

 また、映画監督を養成するため、韓国政府によって95年に作られた韓国芸術総合学校映像院でも、才能豊かな女性の人材を多数輩出している。女性監督はこれから徐々に増えていくだろう。

 これまで、女性監督の映画は興行的にあまり良いとは言えなかったので、肩身の狭い思いをしてきた。これからは興行的にも成功といえる映画を作っていきたい。

 また、世界には年をとっても監督業を続けている女性たちが数多くいる。私もそのようになりたいと思っている。

◆イ・ヘギョン(ソウル女性映画祭代表)◆

 97年に誕生し、毎年4月にソウルで開催しているソウル女性映画祭は、ソウル市と文化観光部が主催する映画祭で、今年で6回目を迎えた。
 
 まだ若い映画祭ではあるが、3万人を動員する大掛かりな祭典だ。女性映画監督の発表の場を確保し、人材を育てるために行っている。

 現在、政府からの支援を受けているが、それでも資金不足は否めない。規模を大きくするか現状維持でいくか悩んでいるところだ。

 韓国女性は、儒教社会の中で非常に厳しい生活を強いられてきた。嫁ぐまでは父親に仕え、結婚してからは夫に仕え、未亡人になってからは子どもに仕えるというものであった。日本でもそういう状況が長かったと聞いている。

 そういう過去から抜けだし、女性も思ったこと感じたことを表現することが必要だし、実際そういう時代になってきた。

 私が韓国の女性監督に一つだけ望むとするならば、世界の映画祭で大きな賞を獲ってほしい。これまで世界の映画祭で賞を取ってきた男性監督を嫌いというわけではないが、男性監督の見る文化と女性監督の見る文化では、やはり質が違うと思うからだ。女性監督が賞を取り、評価が高まることを期待したい。