太鼓奏者の林英哲(写真・下)が、韓国の打楽器奏者との交流や韓国陶芸の保護に力を注いだ浅川巧への思いなどを映画にした「朋あり」が、このほど完成。16日から上映会が始まる。伊勢真一監督(写真・上)に文章を寄せてもらった。
「ドーン!」と太鼓の一撃。林英哲の音だ。私がこの響きを初めて、体で、感じ取ったのは、いつだったろう
。私は何故、太鼓奏者 林英哲を撮影して見ようと思ったのだろう
。
林英哲は、世界的な太鼓奏者。「佐渡国・鬼太鼓座」「鼓童」などの中心メンバーとして、活躍した後、ソロとなり、国際的な舞台の第一線で活躍し続けている。私は6年前から、彼にカメラを向け、この程、「朋あり。~太鼓奏者 林英哲~」というドキュメンタリー映画を完成させた。
「私は争い戦いの烽火のために太鼓を演奏したことは一度もない、いつも祝福のため、平和のために太鼓を撃ち続けてきた・・・」と。アフリカを代表する太鼓奏者、ママディー・ケイタ(ギニア)が、英哲に語りかけるシーンから映画は始まる。
和太鼓を伝統芸能の領域から解き放ち、今日的な楽器として世界にひろめた英哲は、一方で、コンサートのモチーフを無名の、しかし優れた先行する日本のアーティストに求めて来た。この数年江戸時代の細密画家、伊藤若冲、光と闇を描いた画家、高島野十郎という孤高の美術家たちに思いを寄せたコンサートを企画し、2002年には、70年程前に朝鮮半島で亡くなった浅川巧(工芸研究家、林業技師)へのオマージュ「澪の蓮」を舞台にのせた。 浅川巧は日本が朝鮮半島を植民地下においていた時代に朝鮮の人々と交わり、朝鮮文化に愛情を注ぎ、人知れず、文化交流の礎となった日本人だった。
自然を愛し、樹木の植生研究の傍ら、李朝陶磁や民間工芸品の採集調査を行い、朝鮮文化の素晴らしさを、いちはやく日本に知らしめた浅川巧の功績は、我が国では、ほとんど評価されてこなかった。英哲はその無名の先人にスポットをあて、「歴史の表に出てこない人が、実は大事な仕事をしているということが、よくある。浅川巧は日本が朝鮮半島を侵略していたあの時代に民族の違いや国境を超えて、人と人が、繋がりうる、という可能性を求めた。私も、あやかりたい・・・」と語る。そして、浅川巧の足跡をたどり、その思いを現代によみがえらせ、音にした。
2001年春、英哲は、韓国だけでなく世界を代表する太鼓集団、金徳洙サムルノリと日韓音楽祭と名付けた文化交流に挑む。日韓両国で、ジョイントコンサートを開催し、太鼓を通じて交流を深めようという試みだ。古くからの友人でサムルノリのリーダー金徳洙は「99パーセント仲良くやって来たのに1パーセントの行きちがいでお互いがいがみ合ってしまう。私たちは、まず本当の顔を見せ合う事から交流を始めなきゃね。」と英哲に熱っぽく語る。日韓の音楽家たちは、お互いのちがいを認め、一致点を探りあいながら、日本と韓国の各地で太鼓を中心としたコンサートを実現、成功させた。
日本人にとって朝鮮半島の人々は一番身近な朋、もちろん朝鮮半島の人々にとっては日本人が
。
「朋あり。」時空を超えて英哲は、朋たちと出会う。そして、世界中を旅してきた、その経験から語る。「肌(はだ)の色がちがう、言葉がちがう・・・でも、みかけ程には人間はそんなにちがわないと思う。怒ったり、哀しんだり、笑ったりする表現はみんな一緒だ。そして太鼓の音は、誰でもがどこかで、聴いたことのある音、記憶の一番始めに、母親の胎内で聴いた命の槌音だ・・・」と。
映画「朋あり。」は生きることの希望や理想を声高にではなく静かに語りかけ、反戦と平和をメッセージする音楽ドキュメンタリーだ。
映画を観て欲しい、そして、耳を澄ませて欲しい、英哲の太鼓の音にこめられた、言葉やメロディーを超えたメッセージを受け止めて欲しい。
◆上映日程◆
16日午後2時、6時30分=東京・紀伊國屋サザンシアター
11月15日午後7時=大阪・吹田市文化会館
11月19日午後7時=神奈川・鎌倉芸術館小ホール
11月21日午後1時30分=埼玉・さいたま芸術劇場
11月27日から東京・ポレポレ東中野でロードショー
TEL 03・3406・9455(上映プロジェクト)