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2004/07/02

<韓国文化>"境界"からの解放を表現

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                 尹錫男 「お母さんは19歳」

 韓日の女性作家による美術展「BorderlineCases-境界線上の女たちへ」が、東京・恵比寿のA・R・Tで開催中。社会、国家、個人の中の「境界線」について考え、解放への道筋を探る催しだ。

 私たちは日常、意識するともなく国家、国民、家族など様々な枠組みによって囲われ守られている。その枠組みによって生じた「ボーダーライン」には、「国境」「境界線」「狂気と正気のはざま」などの意味があるが、境界の線引きを行なってきたのは、いつの世もどこの地でもおおよそ権力と権威を握ってきた強者たちであった。
 だがその境界は、はたして当然のものなのだろうか? 境界線によって生じた様々な矛盾を薄々感じながらも、いつのまにか自身の内部にまで境界線を取り入れ、それが不動で正しいものであると思い込み、そのひずみが様々な社会現象に転移し現実を脅かしているのを忘れようとする。

 だがいま向こうでもなく、こちらでもない「境界線上」で日韓の女性たちが出会う試みが始まった―「Borderline Cases境界線上の女たち」へ展。 この展覧会は、自らの内部にまで投影された幾重にも錯綜する境界線自体をアートによって解き放とうという企てである。それは手厚くもてなされた予定調和的な文化交流ではなく、むしろ国家などからはじきだされたアイデンティティをすくいあげ、不安や戸惑いを抱え、なお痛みを共有しようとする者同士の身体から発する表現の交流である。

 同時にそれは日本と朝鮮半島の歴史の影絵に分け入り、光と影のはざまで翻弄されてきた人々の声に耳をすまし、失われた歴史、失われた心を取り戻す、日韓女性の手探りの応答と発信といえよう。

 ゲスト・キュレイターにキム・ソンヒ森美術館学芸員を迎え、多様なジャンルの女性たちによって成就した本展に、韓国からはフェミニズム・アートの先駆者パク・ヨンスクとユン・ソクナムが参加。

 写真家のパクは「マッドウィメン」と題し、女として要求される役割と社会的な自己実現への夢とのギャップに悩み、狂気と正気のはざまで揺れ動く女性たちを撮る。

 ユンは韓国の儒教的家父長社会下において、歴史に翻弄されつつ女として母として家族を支え耐え忍び、沈黙を強いられてきた抑圧的な女性の生を、母の姿をかりて浮き彫りにする。故テレサ・ハッキョン・チャは韓国に生まれ朝鮮戦争により米国に移民、どこにも所属できない生きざまを言葉と映像の往復によってしぼり出す。

 一方応答する日本から、出光真子はかつてアジア諸国に脅威をもたらした戦前の日本軍がいつのまにか市民を戦争に巻き込んでいった過去を、現在のイラク戦争での自衛隊の動きと重ね映像化する。嶋田美子は匿名の「家族のひみつ」を公共へ引き出すことで個と公、マジョリティとマイノリティの歴史を解体してみせる。
 さらにパフォーマンスによって、高橋芙美子は女性にまつわる表象をペーソスとともに無効化し、イトー・ターリは「日本のなかの朝鮮」に関わる、人々の情動のねじれを自らのポジションに取り込み言葉と身ぶりによってあぶり出す。
 
 シンポジウムも慶應大学との共催で実施された。韓国で女性文化運動を推進してきた女性文化芸術企画の李へギョン代表は、「偽りのイデオロギーで飾り立てずに個人の傷から歴史を省察する女性たちの出会いこそ、過去を克服し新たな日韓関係を築く主体となりうる」と強調した。

 振り返れば日本と朝鮮半島は、境界線を引くことさえ困難なほど絡み縺れあった関係をなしながら歩んできた。その歴史を俯瞰し、もつれあう線上に踏みとどまり出会おうとした本展覧会は、過去から女性たちが舐めてきた「日常性」が勝ち得た、境界を突き抜けるもうひとつのしなやかな歴史を示しているようだ。(古川美佳=韓国美術・文化研究、本展実行委員)

◆ 「境界線上の女たちへ」展  ◆

会期 :7月17日まで開催中
    午前11時~午後7時(月曜休廊)
場所 :A.R.T (渋谷区恵比寿南)
    ℡070・5465・1025
入場料:無料