朝鮮通信使の足跡を撮り続けてきた長崎県対馬市在住の写真家、仁位孝雄さんの写真展「石屋根の里・対馬 朝鮮通信使の道」が、このほど東京の富士フォトサロンで開かれ好評を博した。10年間通信使の足跡を追い続けた仁位さんに、文章を寄せてもらった。
日韓両国の狭間で苦悩し続けた対馬藩主を支えた対馬藩・雨森芳洲と釜山訓導・玄徳潤。この2人が導き出したものは、「誠信の交わり」(欺かず、争わず、真実をもって交わる)であった。
1989年より長崎県対馬支庁に勤務していた私は、対馬出身ということもありこの通信使に強く惹かれた。そして、通信使が歩いた苦難の大街道「朝鮮通信使の道」を撮影しようと決意した。
折しも、翌90年5月に盧泰愚韓国大統領が来日、宮中晩餐会で「 270年前朝鮮との外交にたずさわった雨森芳洲は、”誠意と信義の外交”を信条としたと伝えられます。かれの相手役であった朝鮮の玄徳潤は、東莱に誠信堂を建てて日本の使節をもてなしました。今後のわれわれ両国関係も、このような相互尊重の理解と価値を目指して発展するでありましょう」と答礼のあいさつがあった。
このことが私の「通信使の道」の撮影に拍車をかけた。歴史に疎い私は、来日される先生方と夕食を共にしながら何かとご教示頂いた。
撮影は、休日と懐具合と相談しながら10余年を要した。愛知県の資料館で絵巻の撮影許可を頂きながら、ライティングを失敗して使いものにならなかったり 。泣くに泣けないようなことも数え上げたらきりがない。
一方、各地での郷土料理、弁当などは撮影行きの大きな楽しみであった。中でも、藤枝市の弁当・瀬戸の染飯(そめいい)は、山梔子(くちなし)で染めた黄色いおにぎりでとても美味しかったことを覚えている。
ところが、この黄色いおにぎりに数カ月後釜山で再びお目にかかった。写友で写真家の李相大先生の自宅に招かれ、その時の夕食に山梔子で染めた黄色のご飯が出されたのである。文化の共通性をかいま見たようで嬉しく話も弾んだ。
サッカー場を真っ赤に染め、世界の注目を集めたW杯日韓共催の2002年に写真集『朝鮮通信使の道』を発刊し、長崎市、釜山広域市、芳洲の出身地の滋賀県高月町等でこの写真展を開催してきた。釜山では多くの市民の方々が来場し感激して頂いた。4月30日から1週間、東京・銀座の富士フォトサロンでも写真展を開催。4800人の方々にご来観頂いた。
来年は、日韓国交回復40周年である。芳洲に相対し誠信の交わりを実践した釜山訓導・玄徳潤を、ぜひ顕彰して頂きたいと願うものである。