『異文化を愉しむ会』主催の巫俗劇『クッノリ』が先ごろ、東京の調布市文化会館で行われ、好評を博した。歌人の藤井徳子さんの報告を紹介する。
120~130人位は入っているだろうか。体育館のように舞台があって、あとは板の間の会場である。観客はコの字型に座ったり椅子に掛けたりで、板の間の中央で演じられることがわかる。板の間に座って開演を待つ韓国古来のプンムル(打楽器)は、ケンガリ、チャンゴ、プック、チンなど、8名の若者がすでにスタンバイをしている。
本国ソウルより踊り手2名(男性)が来日していると聞き、開演が待ち遠しい。
クッノリは、日本の郷土芸能に類するかも知れない。いつ頃から継承されてきたのか定かではないらしいが、昔のものを現代風にアレンジをした演出に仕上げたとのこと。
派手にプンムルが鳴りはじめ、ムーダン(巫女)が踊りながら観客の間から登場する。
ムーダンの登場により私の想像がふくらむ。
婚礼クッの日、花嫁の家に向かう途中、花婿が馬から落ちて死んだという設定である。
ムーダンが人間と神様を共通の世界へと導く踊りをはじめる。
日本でも火や水の神様など、家を守る神を祀る風習も残っている。その神様が現れる。
甕神(チャンドックシン)は家の味を伝え一家の安泰を願うハルモニが神様で、白いチマチョゴリに長いキセルをもち、腰に甕をぶらさげている。まるでパントマイムのようで、豊かに動き回る表現が大きな赤い面と相まって言いようのない安らかさが観客に伝わってくる。その歩き方にあの日の姑が歩いてきたような感覚に〈私の韓国〉を見い出していた。
台所神(チョワンシン)は、おしゃべり好きのアジュンマ(おばさん)の神様。花婿の死を観客に語りかけ、この神様だけが台詞が多くあらすじが読めてくる。
井戸神(ウルムシン)は、水も滴るよい男の神様なのに振られてばかりいる青年の神。
神様は全員が土俗の匂いのする個性的な面をつけているが、その面に合った演技はみな表情豊かで芸達者な人達である。
プンムルの音に合わせて神々が踊ってきた。人間と神様が一緒に遊ぶ?徐々にムーダンの魂胆がわかってくる。あの世の花婿と会わせてあげようというのだろう。
「あの世の使者」が下界に降りてきた。家の守り神たちに緊張がはしる。さあ 大変!
雑鬼が迷い込んだ!
花嫁は婚礼のクッの準備中。花嫁のことばかり思い続けている。初々しい花嫁の演技が光っている。
あの世の使者が雑鬼を探して連れ帰るからと神たちにつめ寄る。雑鬼?花嫁は何かを感じ、あの世の使者と闘う。神たちの制止を振り切って・・・。
もしや雑鬼は私の夫?雑鬼を見つけその面を取った! やはり私の夫、紛れもない花婿であった。
夫に会えることを信じた新婦。その情愛が余すところなく表現されていて、夫婦愛という不変性がここにあり、演出家の最も表現したい部分であったと思う。
守り神たちは花婿の出現により婚礼クッの支度にとりかかる。
韓国では伝統的な結婚式は少なくなったと聞いてはいるけれど、ここではそれを観せている。衣装は韓式のもので、花嫁が花婿に向かっての礼の初々しさに敬愛の情が見られ、心打たれる。
式が終わり、神に祈りを捧げる2人、一転して白装束となりこの世の名残に舞う花嫁と花婿。別れの時を惜しみ、舞う。静かな舞を引き立てるピリ(笛)は彼岸と此岸をつなぐ切ない音色を醸し出す。
心を一つに舞う愛の証しは、人々の心に温かく泌み入る春雨のようでもある。気品に満ちた舞にただうっとりするばかり。
幅広の白い布を広げて守り神たちが作る道、冥界へ戻る花婿への道である。
多くを悟らせる内容であり、儒教の精神が息づく韓国の風習や風俗など、充分に味わうことができた一夜であった。
在日コリアンと日本人による会のある事は、民族を越えた友好でもあり、多くの人々にアピールし輪を広げていって欲しいと願う。
観客と一体化させる演出が友好の鍵とも思う。一緒に踊る観客も、座っている人もプンムルの音に酔い、拍手のやまないうちにフィナーレとなった。
ふじい・のりこ 1942年東京都出身。92年、第5回短歌現代歌人賞次席。94年、短歌新聞社年刊短歌賞受賞。第15回全日本短歌大会選者賞受賞。日本ペンクラブ会員。日本歌人クラブ会員。著書に歌集『無窮花植ゑむ』『ひとすぢに恋』『酒蔵』など。