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2004/01/01

<韓国文化>大衆文化の韓日交流拡大

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 日本大衆文化の第4次開放が、1月1日から実施される。これまで制限されていた日本語で歌われたCD、レコード、家庭用ゲーム機の日本語ソフトなどが解禁され、劇場用アニメ、放送用のドラマなど一部を除いてほぼ全面的な開放が実現する。今回の措置により、大衆文化を通した韓日の相互理解促進、両国文化産業の活性化が期待される。

 98年の日本の大衆文化開放以後、『影武者』『HANA-BI』など日本映画の公開が相次ぎ、当初は興行的に振るわなかったが、第2次開放後に公開された『LoveLetter』が120万人を動員する大ヒットを記録、『鉄道員』も40万人を動員するなどの好成績を収め、『純愛譜』など合作映画の制作も盛んになり、韓国市場に日本映画が定着するようになった。

 一方、日本では韓国映画『シュリ』が300万人という大ヒットを記録し、日本での韓国映画ブームを呼んだ。以後、『JSA』『猟奇的な彼女』など話題作が相次いで公開された。
 また昨春、テレビドラマ『冬のソナタ』がNHK衛星で放映されて、日本の女性ファンを中心に一気に韓国ドラマブームが押し寄せた。

 『ホテリアー』『美しき日々』など韓国テレビドラマの公開が各局で相次ぎ、日本の旅行会社が企画した韓国ロケ地ツアーにも申し込みが殺到するなど、この数年アジアで起きている”韓流”(アジアでの韓国のエンタテインメントブーム)が、日本にもやってきた形となった。

 韓国テレビドラマブームは今年も加速すると見られる。新作映画も李滄東長官の『オアシス』など目白押しだ。また日本レコード会社各社は、1月早々から相次いでアルバムを発売する。
 今後、韓国で地上波による日本テレビドラマ放映が実現すれば、両国文化産業の相乗効果はもちろん、相互理解にも大いに役立つと見られている。

 韓日文化交流は、65年の韓日国交正常化以後、文学・美術などの芸術分野に限られ、映画・公演・放送などの大衆文化は開放が認められなかった。

 98年10月、金大中大統領(当時)が、サッカー・ワールドカップの韓日共催を控え両国の友好雰囲気を高めるため、日本大衆文化の段階的開放を決定、同年10月20日に韓日合作映画、4大国際映画祭の受賞作、日本語版漫画などの第1次開放を行った。

 その後99年9月に、韓国政府が公認する70余の国際映画祭受賞作、規模2000席以下の室内での日本大衆歌謡の公演などを認める第2次文化開放、2000年6月27日には第3次開放として、国際映画祭で受賞した劇場用アニメ、R12指定およびR15指定の映画、日本語の歌唱アルバムを除外した残りのアルバムなどが認められた。しかし2001年7月12日、日本の歴史教科書歪曲問題への抗議として、「日本大衆文化の追加開放無期限中断」が発表され、中断措置が続いていた。

 そして2003年9月16日、「韓日共催ワールドカップ」(W杯)の成功で、韓日両国の信頼関係が徐々に回復に向かっていることから、日本大衆文化追加開放の条件が整ったと判断した。」として、第4次開放を決定した。


-若者が交流の中心に- 李滄東・文化観光部長官

 韓日共同でサッカー・ワールドカップ(W杯)大会を成功させたことで、韓日両国の信頼関係はいい方向に向っています。若者が中心となる新しい韓日交流の時代が、いま始まろうとしています。

 韓国政府は、第4次日本大衆文化開放を2004年1月1日から実施しますが、この文化開放はお互いの心を結びつけるのに役立つと確信しています。

 韓日間には長い交流の歴史があり、中には厳しい関係の時代もありましたが、その長い歴史を振り返ると、多くは友好的な関係でした。

 文化開放に先立ち、昨年11月30日には、ソウルの金浦空港と東京の羽田空港を結ぶ韓日シャトル便の運航も始まりました。このシャトル便を利用すると、一日で多くの事が出来る韓日新生活圏に入ったことを、私も利用してみて自ら実感しました。

 そして2005年は、韓日国交正常化40周年になります。

 いま韓日間では年間360万人が相互往来していますが、今後数年で1000万人が往来する時代が実現すると思ます。1000万人が相互往来する時代になったら、新しい活力が両国共に生まれることでしょう。

 韓日が心と心の交流を深め、共に未来志向を大切にし、共に繁栄する、そういう韓日のルネッサンス時代がやってくると確信しています。