下関市立考古博物館(山口県下関市)で、開館10周年企画展「一衣帯水の世界-古の日韓交流」展が開かれている。弥生時代から古墳時代にかけての韓半島との交流についての考古学的成果を紹介した展示会だ。
◆漁労具も伝来◆
朝鮮半島と日本列島との交流は旧石器時代に遡る。続く縄文時代には、前期の曽畑式と櫛目文土器との間に共通性が認められ、西北九州型結合釣針や鎌崎型スクレイパーといった漁労具・解体処理具も西北九州から朝鮮半島南部の海岸部にかけて分布している。
縄文時代終末(あるいは弥生時代早期:紀元前5~4世紀頃)の日本列島への稲作文化の伝来は、土器や石器の共通性からみて、韓半島南部を経由した可能性が高い。
弥生・前期末から中期前葉(前2世紀前半)にかけて朝鮮半島南部から日本列島に細形武器類(剣・矛・戈)や多紐細文鏡、円環型銅釧、小銅鐸などの青磁器がもたらされた。これらのすべてではないにせよ、日本列島においても中期前葉には青銅器の生産が開始されていたことが、鋳型の存在によって知られている。
日本列島におけるこれら初期の鋳型は佐賀平野にその分布が集中し、一つの遺跡から朝鮮系無文土器とともに出土する例が多い。これらの朝鮮系無文土器の多くは日本列島で製作されたものと考えられているが、弥生土器の場合と異なる製作技法が見られること、そして青銅器製作という高度な技術が出現していることからも、朝鮮半島からの渡来者の存在を想定せざるを得ない。
一方朝鮮半島にも日本列島の土器が存在し、たとえば慶尚南道泗川市勒島遺跡や福泉洞莱城遺跡は多くの弥生系土器が出土したことで知られる。
古墳時代前期(3世紀末~4世紀)の福岡市西新町遺跡では朝鮮半島系土器が大量に出土している。加那系土器と百済系土器がそれぞれまとまって見られ、竈をもつ竪穴式住居跡も発見されている。竈が列島内で普及するのは5世紀以降のことであるから、朝鮮半島南部から渡来した人々が居住していたのであろう。
一方、加耶地域では福泉洞古墳群などで土師器が出土している。釜山市東菜貝塚など生活址・集落跡からも出土していて、その多くが、ほぼ4~5世紀前葉に位置づけられている。集落跡からも出土していることから、倭からの渡来人が居住していた可能性が高いが、主体を占めるのは在地系土器で、土師器系土器がまとまって集落から出土するような状況ではない。
◆金銅製品が普及◆
一方、大成洞古墳群では4~5世紀前葉に築造された大型木槨墓から巴形銅器や緑色凝灰岩製鏃形石製品などの倭系遺物が出土している。倭との交渉を金官加耶の上位首長層が担ったことを示しているのであろう。
また、5世紀前半代には列島にさまざまな技術がもたらされた。その結果、須恵器の製作が始まり、甲胄の製作においては鋲留技法が採用された。初期の馬具もかなり見られるようになるし、金銅製品が普及するのもこの頃からである。そして、これを契機として手工業生産における技術者集団の新たな組織化が進行してくのである。
これらの技術を倭にもたらしたのが朝鮮半島からの渡来人であったことは言うまでもなく、福岡県甘木市池の上墳群は、陶工などの技術者を含んだ彼らの墓地と考えられている。(同展図録より抜粋)
◇一衣帯水の世界-古の日韓交流◇
場所:下関市立考古博物館
日時:開催中(27日まで)。
料金:一般200円、高・大生100円。
℡0832・54・3062。