日韓両政府の歴史認識の違いや教科書問題等での対応から来るゴタゴタで、何か今ひとつ盛り上がりに欠けた“日韓条約40周年“そして”日韓友情年“も残すところ2カ月余りとなった。
“韓流ブーム”の影で、なかなかスポットライトが当たらない長年の功労者たちの話題を中心に今年下半期のトピックを拾ってみた。
去る8月、韓国歌謡界で『バラードの皇帝』として君臨する男性シンガー、シン・スンフンの日本デビューが実現した。ファンにとっては、正に遅過ぎるほどの日本正式上陸であったが、今年は記念すべき彼のデビュー15周年と言う節目の年でもあった。
東芝EMI発売のアルバム『微笑みに映った君』は日本語版を含む、彼の代表曲の数々そして話題を呼んだ映画「猟奇的な彼女』の主題歌『IBelieve』に至るまで新たにレコーディングした全曲リマスターリングアルバム。過去、現地でベスト・セラーを記録した10枚のアルバムから本人自身の選曲により選りすぐられた豪華な内容となった。
すでに来日交演も成功裏に終了したが、映画を介させずにデビューした久々の“大物国民的歌手”だけあって『日韓国交正常化40周年』にふさわしい明るい話題を提供し、マスコミの注目を集めた。
更に、もうひとり日韓の音楽文化交流において、大いなる礎いしずえを築いたベテラン女性歌手、李成愛(イ・ソンエ)が約20年ぶりに新曲を録音、10月26日にテイチクエンタテインメントより発売された。
1970年代半ば、韓国歌謡不毛の地であった日本の歌謡界に『カスマプゲ』『納沙布岬』『釜山港へ帰れ』など、当時の現地スタンダード曲を日韓2カ国で収録したアルバムを多数発売し、-演歌の源流を探る-の名キャッチ・フレーズを生み、第一次韓国歌謡ブームをリードした。その後結婚を機に電撃的に引退した。
また85年にTDKレコードより2枚のアルバムを発表して以来、日本の歌謡界からは遠ざかっていた。80年代末に夫君の仕事の関係で長期滞在していた米国より帰国、以後ゴスペル・ソング歌手として教会での布教活動に専念していた。
元ワーナー・ミュージック・コリア社長の姜仁氏が、歌唱力には定評ある李成愛のゴスペル・アルバムをプロデュースし、病床の故吉屋潤氏に作曲を依頼するため、彼女と姜氏と三人で釜山の病院に入院中の吉屋氏を見舞った思い出がある。
日本では、演歌歌手として良く知られた彼女だが、初めて会ったにもかかわらず、その知的な雰囲気と優しい御人柄、流暢な本場仕込みの英語での会話は忘れ得ぬ思い出となった。
その伝説の歌手が、かつての恩師で作詞家、三佳令二のペンによる『涙は人のために』『心の旅路』を再び世に送り出したのだ。今回、日韓国交正常化40周年を記念して制作されたこの新曲は、日韓福祉交流慈善公演テーマソングとして各地の福祉交流イベント等で紹介される予定。今月韓国の京畿道で開催される『肢体障害人協会-芸能・音楽歌謡祭』での御披露目が決定している。
釜山への車内で「私は神様にもう色恋の歌は歌わないって御誓いしたの」と冗談まじりに明るい表情で語っていたのが印象的な李成愛だが、正に蘇る伝説の歌声というレコード会社Sのキャッチコピー通り、再デビュー実現の快挙に、この場を借りて大きな拍手を贈りたい。
時代の変化と言ってしまえばそれまでだが、韓流ブームの大ブレイクで日韓の映画・音楽業界に於ける相互認識不足から来る文化的、金銭的摩擦がエンタテインメント業界ではこのところまことしやかに語られている。
今こそ、決して派手さは無いかも知れないが李成愛を筆頭に、韓流のさきがけとして努力して来た日韓の先駆者たちの姿勢を再認識するべきではあるまいか 。
日韓の芸能交流において過去40年間、コツコツと井戸を堀ったひとや畑を耕して来たひとが少なからず海峡の両側に存在している。来たるべき2006年は、いびつに変形しつつある碕韓流鷺が、より一層成熟した方向へ回帰するそんな年になればと筆者は願っているのだが 。