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2005/07/15

<韓国文化> 韓半島舞台にギリシア悲劇

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    みやぎ・さとし 1959年東京生まれ。87年東京大学文学部中退。俳優活動を経て90年「ク・ナウカ」を旗揚げ。独特の二人一役の手法で『ハムレット』『サロメ』などを演出。

 韓国との演劇交流を続け、今年6月に「トロイアの女」を上演した日本の劇団ク・ナウカが、今度はギリシア悲劇の王女メディアを、日本と韓半島に舞台を移した作品を、7月19日から8月1日まで、東京・上野の国立博物館で上演する。同劇団の宮城聡代表に、韓日演劇交流、ク・ナウカ版「王女メディア」の意味について話を聞いた。

 今年6月、ヤン・ジョンウン氏率いる劇団「旅行者」と共にエウリピデス作「トロイアの女」を共同制作し、静岡、名古屋の2都市で上演した。

 今回の韓日合作は、ヤン・ジョンウン氏からの申し入れにより実現した。両演出のコントラストがそれぞれの特徴を引き立て、戦時における女性の苦しみをヴィヴィッドに、統一感をもたせて表現できたと自負している。

 かつて韓国を侵略した歴史を持っている日本人の立場で、侵略を扱っている「トロイアの女」を韓国の人々と共に創作することは、とてもヘビーな仕事だった。しかし、ヤン氏が演出した部分を俳優たちが創り上げていく過程に立ち会う中で、「恨(ハン)」のスピリットを初めて理解できた気がした。「恨」とは、人間が生きてゆく中で心の底に積もってゆく悲しみであり、ヤン氏が芝居の中で何曲も使っていた韓国の民謡に共通した死生観は、このスピリットから形成されている。

 さて、もう一つの作品「王女メデイア」の舞台を明治期の日本と朝鮮半島に設定したのは、一言でいえば、ここに紀元前5世紀のギリシアと小アジア半島との関係性の類似を見たからである。

 日本は明治維新により周辺諸国に先んじて近代化を成し遂げたが、その近代化が軍事的圧力をもって、朝鮮半島はじめ周辺諸国からの搾取を進めていこうとする植民地主義と結びついてしまった。これはギリシアが文明化と「国民皆兵」を成し遂げ、周辺国を植民地化していく過程と非常に類似している。

 しかも、近代化という点においては朝鮮はじめ周辺のアジア諸国に先んじたとしても、文化においては元々はみんな中国大陸や朝鮮半島からもたらされたものであるという動かしがたい歴史的事実に対して、ねじれたコンプレックスを抱かざるを得ないという精神構造は、かつてギリシア人がみずからの文化芸術のみなもとであるアジアに対して抱いたコンプレックスと酷似している。

 このコンプレックスがあるからこそ、かえって相手を正しく認めることができず、自分の優位をことさらに強調するだけになってゆく抑圧のありようが、古代ギリシャと2500年後の日本とを照応させることで観客に明瞭に示されてゆく。その意味で小アジア半島からギリシアにやってきた花嫁メデイアは、ク・ナウカの「王女メデイア」では朝鮮半島から日本にやってきた花嫁となる。

 今回の演劇では、古代ギリシアの英雄イアソンとその妻メデイアをめぐって繰り広げられる壮大な「子殺し」の悲劇を、明治期の日本に舞台を移し、歓楽街の座興で演じられる劇中劇として再現する。セリフを語るのはすべて、言葉の支配者たらんとする男たち。そして、その言葉に操られるように動く言葉を奪われた女たち。ク・ナウカが15年間追求してきた語りと動きを分ける”二人一役”の手法が、ストーリーと密接にからみ合い、やがて言葉の支配をくつがえすように女たちの反乱が始まる。

 王女メディアは99年に初演し、2001年には韓国・水原公演が実現した。私たちは韓国の観客に、作品の「芸術としての力」をもって応えようと全力を尽くした。芸術の力とは、政治・経済上のあつれきを超えて、表現する者とそれを見る者のあいだに信頼関係を結ぶ力のことであり、そこで生まれる相互の「敬意」こそが、新しい韓日の歴史を始める土台になると信じたからである。 今年は日韓友情年。王女メディアが問いかける抑圧、植民地主義とは何か、再度感じとってもらえればと期待する。


◆「女王メディア」公演◆

日 時:7月19日~8月1日
場 所:東京国立博物館
主 催:ク・ナウカ
入場料:S席前売り5,300円、当日5,500円
    A席前売り4,300円、当日4,500円
℡03・3779・7653(ク・ナウカ)


◆プレゼント◆

 28日午後7時30分の回に2組4人をご招待。住所、氏名、年齢、職業、電話番号、プレゼント名を明記の上、東京本社読者プレゼント係まで。