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2005/04/22

<韓国文化>若い目の見た韓国

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            智辯学園和歌山高等学校2年 山本 直樹さん

 韓国修学旅行生の作文、写真を募集(韓国観光公社主催)して、その優秀作品をまとめた「2004年韓国修学旅行感想文・写真コンクール入賞作品集」が、このほど発行された。特選の作文と写真を紹介する。

◆特賞 「韓国の大地を踏みしめて」

智辯学園和歌山高等学校2年 山本 直樹さん

  僕達修学旅行生を乗せたフェリーは、日本と韓国を隔てる海を少しずつ、しかし確実に進んで、約一晩かけて釜山にたどり着いた。その間、時には高波や強風のせいで、僕らを乗せた船が大きく揺らいだこともあった。

――思えば、日本と韓国の歴史も、この船旅と同じようなものではなかっただろうか。

 お互いの暗い過去、歴史が影を落とし、歩みよることを困難にしていた。戦争を知る世代、知らない世代、それぞれの思いは違えど、文化の中には様々なしがらみが深く根付いていた。それは僕にも言えることで、韓国という国に、どこか疎遠で近寄りがたいイメージを少なからず抱いていたのだ。日本がかつて韓国に対して犯した過ちをうしろめたく感じた結果であるのかもしれない。

 そんなマイナスイメージを拭いされないまま韓国の地に着き、まず最初に目に飛び込んできたのはユニークなハングル文字、それと原色の洋服に身を包んだ活気あふれる人々の姿だった。その時、僕はこの「韓国」という国のもつパワーを初めて感じたような気がする。侵略、戦争、歴史の教科書で見る灰色の韓国は、そこには存在しなかった。

 そのパワーは慶州・ソウルと、都市に向かうにつれてより色濃くなっていった。特にソウルは日本の渋谷や梅田などを彷彿とさせるような大きなビルやショッピングモールが連なり、そして何より、いきいきとした表情で街を闊歩する同年代の若者たちがいた。

 しかし、僕達は韓国でただ明るい現実だけを見たわけではない。その影も実感してきた。その代表が38度線だと思う。世界が民族・宗教・文化を越えてひとつになろうとしている中で、同じ民族同士が冷やかな鉄条網と国境で真っ二つに分断されていることは悲しいことだ。

 そこに立っていた兵士達も、僕らとそんなに年が離れていないのに、両国の対立の最前線で責任を負っている。その姿はそれまで漠然としていた「争い」の二文字をまざまざと見せつけるものであった。人々の外見も、文化も、日本と似ている点が多いのに、それでもやはり日本と違う緊張感が存在する。それが韓国のもう一つの表情であった。

 漢陽工業高等学校を訪問した際、向こうの生徒達は日本の高校生と変わらない笑顔で、楽しそうな様子であった。
 「メールアドレスを教えて」
 「好きな音楽は?」
 「ガールフレンドはいるの?」

 他愛のない質問が次から次へと飛んでくる。そうやって他愛のない話をしている間も、僕の頭の中には、一つの考えがどうしても離れずに残っていた。
 「この子たちは、あと数年で徴兵されるんだなぁ」という考えが。

 もちろん、彼らだって常日頃それについて思い悩んでいるわけではないだろうが、実際に軍の訓練は厳しいだろうし、自由も奪われるだろう。けれど、僕は徴兵制を軽々しく否定することはできない。なぜなら、国が分裂しているという現状、兵力が必要だという現状はまぎれもなく存在するものなのだから。僕たちは平和を夢みて、今目の前にあるものから目を背けがちだ。ただ、それでも、武力を突き付けあって生まれる平穏の姿が、あるべき姿ではないということはわかる。

 発展する都市には高層マンションが立ち並び、立派に輝いているが、その分影も多くなる。これはどの国でも同じだった。引き裂かれた二国、それぞれが持つ影はまだ大きいと感じたが、少しずつ船で進むように、だんだんと世界は近づいているようにも思えた。朝鮮半島をはじめ、世界の国々に光があたることを願う。