ジュエリーとオブジェのパレット「日韓現代メタルアート」展が、2月12日から3月21日まで、東京・渋谷の松濤美術館で開かれる。韓国作家5人、日本作家5人の計10人が出展し、両国のメタルアートの可能性を探る企画だ。
今回参加する5人の韓国人作家はほとんどが40歳代で、いずれも韓国の主要な大学で教鞭を執っている。金炳燦はジュエリーや実用品を作っているが、繊細さと、手作りの品が持つ温もりを強調している。ジュエリー作家の李ガンヨンは、建築の空間構造に関わっている。彼女が作る構造的なペンダントは小さなものではあるが、機能と象徴の融合である建造物の、内側と外側を表現。
南和京は伝統的な金工技術を駆使して、美的な感性と彫刻的な形を結びつけている。今回出品される人体シリーズは、(基礎部分の)立方体から有機的に変形して立ち上がる動勢を示す。
白ギョンチャンは工芸的なものと工業デザインとの融合を追い求めている作家である。銀を手作業で加工する仕事の一方で、彼はかつてビジネスとして大量生産を試みたこともある。
田溶一は手が作り出すものの原型である器を作っている。彼の容器は使用できるように“中空”でありながら、同時に“中身の詰まった”実体として、空間を占有している。
これら5人の作家は、世代的な共通点を見せている。それはこの急速に変化しつつある工業化社会の中で、先人から受け継いだクラフトワークの価値や形を、どのように維持し応用していくかという問題を抱えていることである。
韓国の工芸家たちが個人作家として活動し始めたのは、1970年代後半からである。この頃から多くの大学が美術工芸科を独立させ、展覧会や国際交流も増加した。
しかし近代的な大学で教育を受けた作家たちは、伝統を受け継ぐ工匠や地方の手工芸家といった広い意味で韓国の金工界を形成する作家たちとは切り離されていた。
この分離は、韓国の近代史に起因している。40年に及んだ日本の植民地支配、その後の南北分断、韓国戦争から軍事政権と続いた20世紀前半の混乱した社会のもとでは、過去の文化遺産を受け継ぐ余裕がなかったのである。
韓国人が昔から芸術や工芸に寄せてきた親しみや関心、あるいは際だった手先の器用さや、教育にかける情熱といったものが芸術や工芸の持続的発展の基礎をつくり、1980年代以降クラフトギャラリーやアートショップがいくつか現れて、90年代には工芸品の売り上げを倍加させた。
しかし作家の成長に比べてクラフトギャラリーや振興団体、ジャーナリズムといった社会的基盤はまだまだ貧弱で、質的な向上の妨げとなっている。
韓半島と日本列島では、古墳時代から唐の影響を受けた多彩な金工品が作られていた。
鏡や刀などの実用品や、金を主体とした装身具、仏教伝来以後は金銅仏、梵鐘、舎利容器などが作られている。百済から仏教と共に渡来した技術者によって、飛鳥・奈良時代に金工の技術は大きく発達した。
朝鮮王朝時代(1392~1910)は、庶民的な実用品に簡潔な美を達成した。上層階級が銀器や銀象嵌を施したものを使用したのに対し、庶民には銅と亜鉛の合金である真ちゅう製の食器が普及した。しばしば銀を象嵌して繊細な文様を描いている。
日本の金工は、他の分野と同じく平安時代(794~1192)から次第に和風化の様相を見せ始め、鎌倉時代に日本刀の製造技術が完成、江戸時代を支配した武士階級にとって日本刀が必須のアイテムとなると、刀装具に趣向を凝らす金工技術はさらに洗練の度を加えた。その高度な職人芸は、喫煙具などの日常生活で使う小物の制作にも活かされて、江戸の町人文化に彩りを添えた。
近代以降、日本では美術学校に金工科が設置され、徒弟制度の中で受け継がれてきた職人芸が広く開放され、モダンな表現を目指し始めた。韓半島では日本による植民地支配の中で、金工の技術も衰退を余儀なくされたが、独立後は復興に尽力し、栄光を取り戻しつつある。
◇ 日韓現代メタルアート展◇
日時:2月12日~3月21日
(2月28日~3月6日まで休館)
場所:松濤美術館
(渋谷下車15分、京王井の頭線神泉下車5分)
入館料:無料
℡03・3465・9421