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2005/01/14

<韓国文化>在日時調の会・多摩歌話会・多磨霊園で吟行を楽しむ

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    ふじいのりこ  1942年東京都出身。92年第5回短歌現代歌人賞次席。94年短歌新聞社年刊短歌賞受賞。第15回全日本短歌大会選者賞受賞。日本歌人クラブ会員。日本ペンクラブ会員。著書に歌集『無窮花植ゑむ』詩画集『ひとすぢに恋』随筆集『酒蔵』などがある。

 府中市にある多磨霊園は、数多い樹木のなかに陸軍軍人、歌人、作家、画家などの墓がある。四季折々に日本の風情を感じさせる墓地は、文学散歩のメッカになっている。在日の時調の会(三行詩)6名と多摩歌話会の5名がこのほど、吟行会を行った。メンバーの藤井徳子さん=写真=が報告を寄せてくれた。

 霊園は春の桜良しとか 
  早起きし、頑張って出かけたるは
 時調(しじょ)の魅力か、はたまた紅葉狩りか
              金鉾義信

 資料を見ながら外人墓地に入る。およそ三百の墓域の一画は草が立ち枯れ、縁の遠くなった人を思わせる。
  
  十字架のはたイスラムのいしぶみに雑草
  末枯れ霊園の端     田上信子

 外人墓地を出たところに栴檀の木が目に付いた。大豆より大きな緑の実が下がり美しい。

 この木は、古くは獄門の晒し首の木に使われていたとか。なぜ墓地にあるのか分からないけれど珍しい木だ。実は皹やあかぎれの薬として、また樹皮は駆虫剤として使った。園内には1700本の樹木があるのに名札のないのがとても惜しい。

 墓地の番地をみながら、左右の墓を確かめて歩く。資料を読みながら故人の履歴を知り、感動したりしながら落葉を拾い墓に供えたりして移動する。

 目指すは岡本太郎の墓。何度行っても楽しくなるところで遠足の気分みたい。多くの人
に愛された岡本一家の墓域は母かの子(歌人)父一平(漫画家)とともに太郎も眠る。

  もみじ葉の散り敷く下に熱き生終えて眠
  れる岡本かの子     岩崎節子

  小春日和の多磨霊園
  かさこそ舞う柿の葉を
  ほほづえついて太郎も笑った 大津喜平

  一平の墓域の白きモニュメント窪む乳房
  に雨水の溜まる    大久保麗子
 
  [太陽の塔]にかも似るブロンズを据ゑた
 り岡本太郎の墓碑は     信子

頬杖をついたような駄々っ子は太郎自身か。「顔は宇宙だ、芸術は爆発だ」などの名言を思い起こさせる。かの子と太郎の彫刻の中ほどに、川端康成の大きな碑がある。

『岡本一平、かの子、太郎の一家は私にはなつかしい家族であるが、また日本では全くたぐいまれな家族であった。私は三人をひとりびとりとして尊敬した以上に、三人を一つの家族として尊敬した。この家族に私はしばしば感動し、時に讃仰した(中略) 。古い家族制度が壊れ、人々が家での生きように惑っている今日、岡本一家の記録は殊に尊い。この大肯定の泉は世を温めることであろう』(「母の手紙」)序より)

 川端康成の岡本一家に対する心情が顕著に表現された碑文に釘付けになる。
 現代社会の家族崩壊をあたかも予言したとも思える。

  大きな墓は息苦しいが
  小さな墓もさびしい
  終わりあるもののかなしさ 金一男

 歌詠みにふさわしい北原白秋の墓へと急ぐ。今年、長男の隆太郎氏が亡くなり、白秋を語る人が減ってくるのは寂しい。
  
  色づける合歓の細枝を傘にしてトンカジョン(白秋)ねむる石の円墓に 徳子

 童謡や詩、短歌、民謡など幅広いジャンルで活躍した白秋だった。白秋を伯父貴と慕う詩人の山本太郎氏は「白秋は音痴で決して歌は上手ではなかったが、僕にとっては大変陽気で面白い人であった」と意外な一面を語っている。

 白秋の愛称はトンカジョン、本名北原隆吉。言葉の魔術師といわれ、多くの作品が今も愛称されている。五十七歳の若さで、類まれな才能を天国にもっていってしまった。

  君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の
  香のごとく降れ       白秋

 与謝野寛(鉄幹)と晶子の墓は広い。土葬かと思うくらいだ。棺蓋には歌が彫られているけれど変体仮名のためなかなか読めない。

 日本中に大きなショツクを与えた三島由紀夫の割腹自殺は、いまもってあの報道が頭をよぎる。以外に小さな墓地で探すのに大変であった。ペンネームばかり頭にあり、本名の平岡公威の下に小さく三島由紀夫と刻まれていて余計わからない。

 画家の岸田劉生の墓には見事な赤松が中央に一本あり、墓がその後ろになっているのでこれも探しにくかった。

 時間のたつのは早く、西日に冴える紅葉を見ながら解散の時間になってしまった。
 歌人の墓に刺激され、メモを片手に感動を記す。時調の会の人と短歌会の同人が今後も
研鑽を重ね、交流を続けて行きたい。