「韓日友情年」だった昨年、韓国と日本の間ではさまざまな行事が行われ、庶民レベルでの交流が進展したが、日本からは3万人近い中学・高校生が修学旅行で韓国を訪れ、友情の輪を広げた。彼らは韓国への修学旅行で何を感じ、何を学んできたのだろうか。韓国観光公社が主催する「2005韓国修学旅行感想文・写真コンクール」の入賞作品を紹介する。
◇特賞◇ 文化学び未来築こう 智辯学園和歌山高等学校2年 柚木 真さん
今回の韓国修学旅行で、僕は非常に貴重な体験を得ることができた。中でも印象的だったのは、石窟庵や仏国寺など、深い歴史と由緒のある様々な史跡を見学させて頂いたことである。特に仏国寺の境内では威厳のある建物がいくつも見られ、壮観とも言えるその雰囲気に強く感銘を受けた。そしてその時僕の心にあったのは、初めて見る景観に対する単なる新鮮さではなく、その背後に感じられる韓国の歴史・文化への尊敬に近い心情であった。韓国の地に実際に来たことで、僕は史跡の他にも、至る所でこの国の文化をこの目で見て、学ぶことができたように思う。
ソウル教育文化会館では民族舞踊を鑑賞したことが鮮明に記憶に残っているが、韓国の文化背景に疎く、彼らと同じ価値体系を持たない僕には、その舞踊の素晴らしさを深く味わいそれを完全に理解することは不可能であったかもしれない。
けれども、華やかな衣装をまとった女性達の見事な身のこなし、その動きに伴って美しい波を描く装飾布、そしてその合間に見える彼女達の澄みきったような笑顔を見て、あの時僕は「ああ、美しい」と感嘆の声を漏らさずにはおれなかった。それは僕に限ったことではなかっただろう。あの場にいた誰もが、舞踊の魅力に圧倒されたはずである。
僕自身は、韓国の名所を回る中でその歴史や文化について学びつつ、それに強く惹かれることが多かった。その理由は、一つには、韓国文化の中に日本文化の源流を感じるからではないかと思う。言うまでもなく、古代から、朝鮮半島からは多くの渡来人が海を渡り日本を訪れ、彼らの習慣や文化を我々の先祖に伝え、それを礎として日本文化は築かれてきた。その歴史的事実は、古くから続けられてきた両国の深い関係を指し示すのみならず、我々日本人の文化が韓国文化に少なからず依拠していることの証拠でもある。
実際、この旅行でも、韓国の様々な伝統・習慣を直接見ていく中で、日本と似ているなと感じたことも多かった。そこには、日本と共通の文化的な基盤・要素が確かにあるように感じられた。また、そのような観点を持って韓国文化に接してみると、日本と似通った点、そして異なる点のそれぞれを通して、韓国に対する理解をより深めることができたと思う。
韓国と日本は、お互いに親しい関わり合いを保ちつつ双国間の歴史を紡いできた。
しかしながらその歴史は、常に両国の良い関係の上に成り立ってきたわけではない。特に、一九一〇年から一九四五年までの三五年間、我が国が朝鮮半島を領土として支配し、多くの朝鮮人を傷つけてしまった韓国併合と呼ばれるこの事実は、永遠に忘れ去られることのないであろう苦い歴史だと言える。
日本人が過去に犯してしまったこの過失に対して、現代を生きる僕達は何をすべきか。この問いは決して軽いものではない。故に対する答えも一つには定まらないだろう。
しかし、少なくとも次のことは言える。かつて韓国を虐げた歴史を持つ我々だからこそ、現代では韓国の文化を深く学んで友好を深めていく義務がある。
そして特に二十一世紀の社会を担う僕達は、韓国との関係をさらに深めながら、その交流の輪を世界に発展させ、より良い国際関係の実現に貢献するよう努力しなければならない。
そしてそれこそが、日本が過去に犯した過失の償いへのきっかけとなり、さらに、大昔海を越えてきた渡来人を含め、素晴らしい日韓関係の歴史を紡いできた全ての人の思いに応え、そのメッセージを未来につなげることになると信じたい。
◇佳作◇ 多摩大学附属聖ヶ丘高等学校2年 朴理喜さん
修学旅行に行く前、私は板門店に行けるか微妙であった。板門店では韓国人の見学を禁止しているためである。
結果的には私が在日韓国人であることと日本の学校の修学旅行の団体であるということで出発直前に許可がおりた。私はその時ほとんど諦めていたので、板門店見学が可能になったことで心が弾んだ。
そして板門店ツアー当日、バスでイムジン江を渡り板門店に着いて、そこから見える北朝鮮の板門閣と民家は妙なものを感じさせた。そして国境があり、南北会談の拠点となる軍事停戦委員会会議場に入った。会議場の中にも国境があり、その会議場の中で私は北朝鮮の領土に足を踏み入れた。その時、私の心は感動と失望に溢れた。
感動とは、戦後北朝鮮領に入ることができた数少ない韓国人の中の一人としてこの現場に参加できたこと。そしてもう一つの失望とは、こんなに小さい同じ国の中で国境があるという事実、そして思想や主義が全く異なる国を二つ作ってこのような厳戒体制になっているという現実に対してである。
私は板門店に行くまでは北朝鮮に対して良い感情を持っていなかった。それは日本のマスコミから流れる一方的な情報しか伝わって来なかったことも原因かもしれない。実際に現場に足を踏み入れてみると今までの自分が抱いていた印象とはかなりのひらきがあった。
私の父親は在日韓国人ではなく、二十代後半に初めて駐在員として日本に来たが、幼年時代に最も悲惨な朝鮮戦争の経験をし、今でも北朝鮮に対して複雑な感情を持っていると言う。
北朝鮮の南侵を防ぐために漢江にかかった唯一の橋が韓国軍の手で爆破され避難することも出来ず、ソウルに取り残されてしまったこと、いつも一緒に過ごしていた愛犬がある日突然に行方不明になり、後に家族で食べたご馳走のユッケジャンスープの中の肉が実は愛犬だったこと、戦時中は極端にたんぱく質が不足するので北朝鮮軍が犬は全部捕らえて食べてしまうのでそれなら家族で食べようということになり処分したということを聞かされワンワン泣いたこと、後に爆破されて渡ることができなかった漢江が厳冬で凍り、南方に避難することができたが、その途中で母親とはぐれてしまったことなどの幼年期の父親の体験談は、板門店に行く前と行って来てからは随分とらえ方が変わってきたように思う。
停戦状態五十年を超えるこの両国に私が望むものとはただ一つ、国境を破壊し、統一するということである。韓国では北朝鮮を近いようで遠い国と言っているが、板門店に行った私はそうは思わない。すぐそこにあるのだから、もっと手を取り合って仲良くすればいいじゃないかと思う。私は世界平和を祈っているが、この両国にはどの国よりも平和になって欲しいと祈っている。
だが私は両国統一の懸け橋になる術がわからない。韓国、朝鮮人の悲願であるのに、戦後五十年以上経っていても朝鮮半島が依然として統一されないのはなぜか。板門店に行く前は、唯、親が生まれた国という観点しかなかったが、帰国(私には日本も母国)して、新たに自分の国(韓国も母国)を再度見つめなおしてみたいと思った修学旅行だった。(抜粋)