韓国とのダンス交流に力を入れるNPO法人オフィスダムが、15、16の両日、「イーストドラゴン~韓流編」を東京・青山の青山円形劇場で開催する。代表の高谷静治さんに、韓日交流の現状について報告してもらった。
96年から始まった横浜ダンスコレクションは、バニョレ国際振付賞(パリ郊外で隔年に開催され、以前は「バニョレ国際振付コンクール」と称していた現代ダンスの登竜門で、世界へ羽ばたくための大きな出会いの場である)の日本国内予選会として位置づけられて始動したのだが、10年目を迎えた昨年から、新たな才能発掘の目を日本のみでなくアジアへも向け、アジアンマーケットの構築を目指す方向に進み始めた。
おりしも日本のコンテンポラリーダンスの二大コンペテションのもうひとつ「トヨタアワード」は、日本の才能を発掘するためと称して事実上、外国からの参加の門を閉ざしてしまったことを思うと、横浜とトヨタはまったく反対軸に走り始めた感がする。
日本のダンスを発展途上と見るか? 日本、アジアの才能を海外のネットに乗せられるようになったと判断するのか?いずれにしろそれらを評価する海外からのアーティストやフェスティバル・ディレクターに出来るだけ参加してもらうためには、経済的な便宜をもう少し手厚くしなければ参加者増にはつながらないだろう。
ダンスの拠点として目覚しいアーティストを輩出しているスイス、フランス、ドイツ、イスラエル、カナダなどは様々なフェスティバルに世界各国から多くのゲストを招き、その時代に呼応した作品の数々を観てもらうために、官、民、NGO、NPOをあげて資金を調達している。このいわば現代ダンスの輸出増進策ともいえる考え方が、自国の若き才能を伸ばす原動力ともなっているようだ。
そんな国々と比べると現代ダンスを取り巻く環境が厳しい韓国の若い現代ダンス作家が、最近様変わりしている。
もともと韓国の現代ダンスは60年代に陸完順先生がアメリカ留学で学んだダンスを種まきしたことから本格化されたと言われているが、ごく一部の恵まれた家庭環境にある子女たちが海外留学で学んだ成果を持ち帰り、国内の名門女子大を軸に発展させてきた歴史が大きい。
もちろんこれ以外の沢山のルーツと要素が絡み合って発展してきているのだが、このように日本と異なって大学を背景に成長してきた韓国ダンス界において学閥や師匠閥、舞踊閥は厳然として横たわっているのだが、ここ10年くらいこの韓国の若い現代ダンス作家たちはこれらのボーダーラインをあっさり乗り越え、あっさり行き来するようになった。
しかも舞踊系ではない演劇や美術の世界から現代ダンスにアプローチするようになり、たくましく自由に作品を発表し、文字通り劇的な感性の鋭敏さを発揮し始めている。しかも現代ダンスが抱える経済的な厳しい状況をものとせず、アメリカやヨーロッパ、そして日本の振付や作品のコンクールに積極的に参加し、その結果はともかく、持ち前の語学力で世界のダンスの風を存分に吸収し始めている。
誤解を恐れずに言えば、これまでの多くの韓国のダンスは、心理描写、情況、コンセプトを執拗なまでに音楽、映像、照明、音響を使用して観客に余計なお世話的説明を強要するように感じていたが、最近の韓国の若い振付家らは、多くの先輩振付家が出来なかったことをいともあっさり捨てることが出来ている。その一例として挙げたいのは、昨年「横浜ダンスコレクション2005」の受賞者公演に参加した丁永斗である。