「韓国の伝統工芸Ⅲ―服飾・刺繍が語る美の文化」が、佐賀県立名護屋城博物館で22日まで開催されている。同博物館が収集・所蔵している韓半島の伝統的な工芸資料を紹介する企画だ。
韓半島では、中国や北方騎馬民族の影響を強く受けつつも、独特の服飾文化が発達した。
男女の区別なく一般に上衣のことを「チョゴリ」、女性用の服の裳(スカート)のことを「チマ」、男性用のズボンや女性がチマの下に下着として着用したものを「パジ」と呼ぶ。これらの組み合わせにより、男性の衣装は「パジ・チョゴリ」、女性の衣装は「チマ・チョゴリ」と呼ばれる。
服飾の材質は、王室や上流階級の間では絹などが見られるが、庶民の間では綿や麻が一般的であった。また、染色技術が一般に浸透していなかったことや、朝鮮時代の質素倹約を勧める儒教の影響により、パジ・チョゴリやチマ・チョゴリは白色のものが一般的であった。
三国時代以降、国王を中心とする中央集権国家が成立。王室や貴族などの間では、贅を尽くした華やかな服飾文化が花開いた。形式や色彩は中国の強い影響が見られるものの、その中でも独特の服飾文化が育まれた。
伝世資料や出土資料として今日知られている服飾資料の多くは朝鮮時代以降のもので、それ以前のものについては、文献や古墳壁画・出土遺物などによって推測され、復元が試みられている。
刺繍技術は古く三国時代にまで遡るといわれる。7世紀前半に作られたとされる「天寿国曼荼羅繍帳」(中宮寺、国宝)は、繍帳銘文によると韓半島からの帰化人らによって制作されたもので、当時の高い刺繍技術を伝えている。また、『高麗図経』など高麗時代の文献にも繍帳・繍図の記録がある。
朝鮮時代になると、「花兒匠」という刺繍を専門とする技術者が朝鮮王室などに置かれ、国や有力者の保護のもとその技術が受け継がれ、服飾や調度品・仏画など様々なものに刺繍が施された。
朝鮮時代の刺繍工芸の代表例として、「補」と「胸背」がある。これは朝鮮時代初期に中国(明国)皇帝から朝鮮国王に下賜された常服などの形式を倣って、15世紀半頃に制度として完成した。服の前後(胸部と背部)に着ける布に刺繍で図柄を表現、位によって描かれる図柄が定められていた。王族や官吏(文官・武官)の位を表すものとして着用され、主に王族が着用した円形のものを「補」、主に官吏が着用した方形のものを「胸背」という。
また、服飾以外にも、箪笥の前面に刺繍を施した布を貼り込んだものや、女性が身に付けたチュモニ(巾着)、刺繍屏風・刺繍画などもあった。朝鮮時代の伝世品は少ないが、伝統的な刺繍技術は現代にも受け継がれ、現代作家の作品として往時からの高い技術を見ることができる。
朝鮮時代には、王族や上流階級の間で身分や服飾に合わせた様々な装身具が着用された。
男性用の装身具としては、補・胸背や帯・靴類のほか、王冠・紗帽や朱笠・黒笠・宕布などの冠帽類などがあった。煙管や質素な粧刀なども身だしなみの一つとされた。女性用の装身具は、靴や冠のほか、ノリゲ・チュモニ・粧刀など華やかなものが中心であった。
一方、庶民の間でも同様の装身具を身に付ける習慣が生まれたが、儒教の教えや経済的理由から質素・素朴なものが中心であった。
出土遺物や伝世品として今日見ることができる服飾資料は多くないが、人物などを描いた絵画史料からも往時の服飾文化の一端を見ることができる。ただし、描かれた対象のほとんどは両斑や官吏など政治的・経済的に上流の人々で、そこに見ることができるのは上流階級の服飾である。
日本により韓半島が植民地となった時代(1910~1945年)には、日本の書店や印刷会社などが、韓半島の風俗・建築・景観などを写真絵葉書にして販売している。その中には、韓半島の人々を被写体としたものも多く見られ、朝鮮時代の伝統を強く受け継いだ当時の服飾文化について、詳しく知ることができる。
◆韓国の伝統工芸Ⅲ◆
日時:22日まで開催中。
場所:佐賀県立名護屋城博物館
観覧料:無料
℡:0955・82・4905