韓国出身の世界的ビデオアーティストで今年1月に亡くなったナム・ジュン・パイクを追悼する「さよならナム・ジュン・パイク」展が、東京・渋谷のワタリウム美術館で開催中だ。同展に寄せた坂根厳夫・情報科学芸術大学院名誉学長の追悼文を紹介する。
◇ナム・ジュン・パイクに 坂根厳夫(情報科学芸術大学院大学名誉学長)◇
パイクさん。こんなにも早く冥界に旅立たれるとは、思いも寄りませんでした。ほんとうに残念です。3年前、サン・パウロへの途中でお寄りしたときも、車椅子にも関わらず、口も手も達者だったし、先日、国際美術館のオープニングで久保田さんとお会いしたときも、パイクはまだまだ元気ですとお聞きして、安心していたのに 。
50年代から世界を縦横に駆け回り、伝統的な芸術界に反旗を翻して、音楽からビデオ・アートまで、天衣無縫の作品を生み出してきたパイオニアとしてのあなたの生涯は、歴史的な偉業だっただけに、体力的にもつい無理をされ過ぎたのかもしれません。
思えば、私が最初にあなたに会ったのは、76年の秋、確かにカーター大統領の選挙の最中で、あなたのアパートで一緒にテレビをみたのを思い出します。当時NewsWeek誌にいたダグラス・デービスも一緒で、ニクソンに代わる新しい大統領の出現に、アメリカのアーティスト達が大きな期待をかけていたときでした。
その頃、あなたに頼まれてガダルカナル・レクイエムの制作のため、TBSから戦時中のビデオを借りるお手伝いをしたことも懐かしい思いです。太平洋戦争の一因ともなった当時の石油禁輸政策を、パイクは当時の日本人同様によく覚えていて、私と同じ戦中・戦後派の人生観を共有されているのを感じました。あの作品に秘められた反戦の意識を、いまこそ世界の人々に伝えたいと思います。
70年から一年間私がボストンに滞在していたときは、あなたがすでにWGBHの仕事をされていた頃で、当時、学生の間ではRadicalSoftware誌にでていたあなたの記事が好評でした。電話帳でボストンのあなたの電話番号を見つけて、ダイヤルしましたが、ちょうどあなたがロスに移った直後のことでした。当時RadicalSoftware誌であなたが指摘されていたグローバル・メディアとしてのテレビの重要性は、30数年後の今、予想以上の速度で実現し、さまざまな問題までかかえてきています。それどころか、さらにはインターネット・メディアまで普及して、新しいメタ・コミュニケーション時代に入っているのを痛感します。
80年代に入ってからは、あなたと会う機会も急速に増えました。MITでのイベントや、82年のアルス・エレクトロニカでのシャーロットとの共演。都美術館のパイクの個展から、世界の都市を結ぶ3度ものテレビ中継などを通じて 。なかでもシャーロットとの共演の想い出は懐かしく、彼女が乳がんを秘めながら、笑顔でパフォーマンスを続けていた姿と重なって、痛々しく思い出します。
あなたの突然の訃報を知って、MoMAのBarbaraLondonのところでいま研修を受けている教え子、内田まほろに、葬儀に出席して久保田さん(パイク夫人の久保田成子氏)へのお悔みを伝えてくれと頼んだところ、久保田さんに、パイクと一緒に写真を撮ってといわれたそうで、数枚の写真を送ってきました。安らかな寝顔のパイクさんが、久保田さんとお揃いのピアノの鍵盤のパターンのマフラーをつけていられる姿が、大変印象的に写っていました。ご覧になって、どうかくれぐれも安らかにお眠りください。
◆プレゼント◆ 同展のチケットを5組10人に。住所、氏名、年齢、職業、希望プレゼント名を明記の上、東京本社・読者プレゼント係へ。
◆さよならナム・ジュン・パイク◆
展場所:ワタリウム美術館(東京都渋谷区神宮前3-7-6)
期間:6月10日~10月9日
入館料:大人1,000円、学生800円
主催:同追悼展実行委員会
℡:03・3402・3001