1979年10月26日に起きた朴正熙大統領暗殺事件をドキュメンタリータッチで描いた韓国映画「ユゴ 大統領有故」が、15日から公開される。2年前の韓国公開時、葬儀の実写シーンに遺族が抗議、ソウル中央裁判所が同シーンの削除を命じる事件が起きている。今回公開されるのはその無修正版だ。来日した林常樹監督に話を聞いた。
――この映画を撮るきっかけは。
事件当時、私は高校2年生だった。私の父は朴政権に反対するジャーナリストで、家族みなリベラルだった。だから事件が起きたとき、(独裁政権がこれで終わると)一家で安堵した。しかし、学校に行くと悲しみに包まれており、葬儀の日には多くの国民が泣いていた。いまだに忘れられない光景だ。
韓国を経済発展させた功労者、言論弾圧の独裁者、朴政権に対する評価はいまだに分かれている。負の遺産の一つが、すぐに暴力に訴える、地位ばかり気にする、女性より男性がえらいという思考だ。これは日帝統治、軍事政権時代から続いているもので、いまだに韓国社会に影を落としている。
――膨大な裁判資料に目を通したとか。
事件関係者は宴席に出席した女性など4人が生き残っているが、何も話してくれないことはわかっている。そのため当時の新聞、裁判記録などあらゆる資料を読んだ。しかし、暗殺に関わった者たちが取調べで拷問を受けたことは確かで、記録がどこまで真実かわからない。そのため、私なりの推測を入れながら、シナリオを作成した。
――ナショナリズムを唱えた人たちが日本の演歌を楽しんでいるシーンは、とても印象的だ。
暗殺された日の宴席で女性歌手が歌っていたのは日本の演歌に違いないと、私はその歌手の経歴から推測した。
朴正熙は日本軍に所属していた人物だから、当然日本語が堪能だった。当時政権中枢にいた者も日本語が話せる。日本植民地時代を経験した人たちが日本語を話したり、また懐かしがるのは、歴史的必然ともいえる。あのシーンによって、”親日派”という韓国の負の歴史を表現しようと考えた。
――映画が韓国で公開された時、すごい騒ぎになったと聞いた。
2004年9月にクランクインしたが、制作はずっと秘密にしていた。映画の公開直前に明らかにしたが、遺族から名誉毀損とのクレームがつき、結局、葬儀の実写シーンを削除することで上映が可能となった。遺族にとってはつらい話だろうが、歴史の真実を描きたかった。
公開直後は右翼の脅迫が続き、ボディガードを毎日つける生活だった。テレビ出演の依頼も多く、とても多忙だった。今回日本で完全版が公開されることは、とても嬉しく思っている。
光化門前に雲集し、大声を放って泣く市民たちを見てほしい。居心地の悪い光景だが、これが28年前の韓国人の赤裸々な姿だ。それは、最近ニュースで見られた平壌市民たちの姿に自然とオーバーラップする。悲しいことだが。
――ハン・ソッキュ演じる中央情報部員がとても印象的だ。
ハン・ソッキュは当時スランプ状態だったが、この作品ではとても良い演技をしてくれた。宴席に出る女性を調達するのがあの情報部員の仕事だった。彼はその仕事が好きではなかったが、家族を養うためにその仕事を続け、歴史の荒波に巻き込まれた。
――作品を通して一番訴えたかったことは。
韓国では歴史的に清算されていない事件が多い。韓国現代史を揺るがしたこの暗殺事件も、真実が明らかにされ、清算されないといけない。その一助になればと思い制作した。「無慈悲な真実」を追うのが私の仕事と思っている。これからもそういう作品を作りたい。
イム・サンス 1962年生まれ。延世大学社会学科卒業。韓国映画アカデミー5期卒業。98年『ディナーの後に』で監督デビュー。他に『涙』『浮気な家族』『懐かしの庭』。
■朴正熙大統領暗殺事件■
1976年10月26日、朴正熙大統領がソウル市内の情報部施設で金載圭・中央情報部長に銃撃され死亡した事件。金部長と暗殺に加わった情報部職員5人が逮捕され死刑となった。映画のタイトルの有故(ユゴ)とは、韓国語で「事故に遭う」の意。