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2007/10/19

<韓国文化>ドキュメンタリーの最先端に触れる

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    日本からは在日の金徳哲監督の新作『河を渡る人々』も出品された

 「第10回山形国際ドキュメンタリー映画祭2007」が、4日から11日まで山形市内で開催された。門間貴志・明治学院大学准教授に報告をお願いした。

 第10回目を迎えた今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭は、日本で開かれる国際映画祭では国外でもっとも高く評価されていると言っても過言ではない。世界のドキュメンタリー映画の最先端をまとめて観るなら、2年に1度、初秋の山形に足を運ぶに限る。

 これまでは山形市の主催だったが、今回は組織がNPO法人となって初めての開催となった。法人化に際しては継続開催を危ぶむ声も上がったが、例年のようにインターナショナル・コンペティション部門とアジアの作品を集めた「アジア千波万波」を中心に、多くの特集上映が企画された。今年はドイツの戦争の記憶や分断・再統一の諸問題を見つめたドキュメンタリーを集めた「交差する過去と現在-ドイツの場合」、国内外の科学映画を回顧する「ドラマティック・サイエンス!」、山形をテーマとした過去の作品を掘り起こした「やまがたと映画」など、いずれも興味深いプログラムが並んだが、正直なところを言えばやや小ぢんまりとした印象もぬぐえない。山形映画祭のあり方を考えるシンポジウムが開かれたのも何か象徴的なものを感じさせた。

 全ての上映作を観ることはおよそ不可能なことである。ここではいくつかの作品について紹介したい。今回の「アジア千波万波」部門には、韓国から3作が出品された。制作集団ウムの『OUT・・ホモフォビアを叩きのめすプロジェクト』は、レズビアンである高校生たちの苦悩をたどったものである。最近は以前より多少はオープンになってきたとは言え、韓国では儒教的道徳観から、同性愛は抑圧されてきた。思春期にありがちな一時的な現象として諭す大人たちへ疑問を持つ少女たちに、年長者であるウムのメンバーがカメラを渡して心のうちを語らせる手法で撮られている。最後は何かすがすがしい宣言のように結ばれる。

 イ・ヒョンジョン監督の『192-399・・ある共同ハウスのお話』は、取り壊し予定のアパートを占拠して共同生活をするホームレスのグループの姿を半年かけて追った作品。運動の中心となる人物は強烈なキャラクターの持ち主で、どこか気弱なホームレスたちを時には激励、時には高圧的に叱咤する。やがてグループの中に起きた亀裂が修復できなくなるまでに大きくなっていく。

 この2作は、これまでの韓国ドキュメンタリー映画にも見られた、一種の社会運動がテーマの作品であるが、以前より内省的な傾向が見える。その意味ではイ・ガンヒョン監督の『人はどうやって消されていくか』は、メタレベルの内省に達しかけた哲学的な考察と言える。格差社会、カード破産、無責任なマスコミといった現代的な社会問題をとりあげながら、また別の次元から自らを問い直す試み。やや論文の草稿のような印象も受ける。

 日本からは、『渡り川』の金徳哲監督の新作『河を渡る人々』が出品された。朝鮮文化の研究サークルに所属する日本人女子高生、強制連行の補償を求める法廷闘争を闘う金景錫氏、在日3代の歴史を一人芝居で演じ続ける宋富子さんらの活動をとらえた本作は、川崎という場所をベースに日韓の歴史と現在を見据える力作であった。

 ここ数年受賞が相次ぐ中国からも興味深い作品が並んだ。今回小川紳介賞を受賞した馮艶監督の『稟愛』は、山峡ダムの建設にともなって移住を余儀なくされた人々の生活を追ったもので、民衆の声、語りを提示する手腕に圧倒される。

 コンペティションの大賞は前々回も大賞を受賞した中国の王兵監督の『鳳鳴-中国の記憶』が受賞した。半右派闘争や文化大革命を乗り越えてきた一人の老婦人が、ほぼ固定されたカメラの前で3時間もひたすら半生を語り続けるという異色作である。ドキュメンタリーにおける監督の立場というものを問い直す問題作であるが、明らかに新しい文法の萌芽を感じさせる。

 こうした試みに対し大賞を与える山形映画祭の斬新性こそ、驚きと賞賛に値するものである。


  もんま・たかし 1964年。秋田県生まれ。明治学院大学准教授。韓国、中国、北朝鮮を中心とした東アジア映画を研究している。著書に「アジア映画にみる日本」など。