10月9日はハングルの日だ。ハングルの歴史について梅田博之・麗澤大学本学長に文章を寄せてもらった。
今夏、驪州(ヨジュ)の世宗大王陵を訪れる機会があった。美しい緑の中の小高い丘陵の上にある陵の前に額ずき、私は500余年前にハングルを作られた大王の偉業を偲んだ。
◆ハングル創製の経緯と世宗大王
世宗が一部重臣の反対を抑え、集賢殿の学者たちの協力を得て1443年にハングルを完成するや、まずこの新しい文字によって朝鮮王朝を讃える『龍飛御天歌』(1445年刊)を書き表し、翌1446年に『訓民正音』を公布し、さらに翌1447年には漢字音の基準を定めた『東国正韻』を作り、新制文字を使って書物を刊行する準備を整えた上で、佛典、経書、医薬・農耕・兵学等の技術書、語学書など多数の書物が次々に刊行された。
このような周到な経緯で世宗の強力なリーダーシップのもと、ハングル創製という国家的プロジェクトが成し遂げられたのであった。
◆民衆のために作った文字
『訓民正音』冒頭に、わが国語が中国語と違うことを認識し、民衆の意思伝達手段の必要性を考えた世宗の文字創製の動機が述べられている。古代エジプトで、王たちの神殿を飾った聖刻文字(ヒエログリフ)がもっぱら王権の神聖と偉大さを誇示するためのものであったのとは異なり、民族意識と民を宗とするお考えのもとにハングルが作られたのである。
◆訓民正音の文字論特徴
ハングルは、子音と母音から成る音素文字であるが、音節単位にまとめて書く点で音節文字でもあり、以下に述べるように素性文字でもある。基本字を発音器官の形に象って作り、発音の仕方の違い(鼻音・平音・激音・濃音)は基本字に画を加えたり並べて書いたりして表すので、調音位置がどこで発音の仕方がどうであるかという音の性質(音韻素性)が文字を見るだけで分かるようになっていて、分かり易く学び易い。このようなすぐれた特徴をもつ文字は世界に類例がない。
◆諺文から真の国字へ
ハングル創製以後も、漢文の公的地位は維持されて公文書や両班たちの文書には漢文が使われ、ハングルは婦女子の用いる文字として諺文と卑称されたが、1894年に至り高宗の「法律勅令はすべて国文を以って本とする」という勅令が下り、ハングルにはじめて公的な地位が与えられ、広く使われるようになった。今や日常の文字生活では漢字はほとんど使われずハングル専用の状況である。
◆ハングルの日
1926年陰9月29日に訓民正音頒布480周年記念式典が行われ、この日を記念日と定めて「カギャの日」(カギャは反切表冒頭の2字)と称したが、1928年に「ハングルの日」と改め今に続いている。
韓国国民は世宗大王とハングルを誇りとしており、毎年、韓国政府はソウル世宗文化会館で式典を催し、ハングル発展有功者に対して叙勲を行う。1991年には私もその栄誉に浴したが、今年度は故安秉熙ソウル大学教授とわが藤本幸夫麗澤大学教授が文化勲章を受章されると聞く。また、韓国政府は新首都(行政中心複合都市)建設を計画中で、その名称は世宗大王に因んで「セジョン(世宗)市」とするという。
◆ハングルの多角的利用
ハングルの制字原理は、現代の音声学の原理から見ても遜色のない科学的なものだから、アルファベットの代わりにハングルを音声字母として使おうとか、文字を持たない少数民族言語の表記手段として提供できるとの意見があるが、ハングル使用の歴史を見ればその可能性は充分にある。
創製当初からすでにハングルは漢字の発音を示すために使われており、朝鮮時代の外国語教育機関である司訳院の日本語教科書『捷解新語』にはひらがなで書かれた日本語本文の横にハングルで発音表記がなされており、たとえば濁音は平音の前に鼻音を添えて表記する等の工夫も見られる。『倭語類解』という語彙集の場合には仮名は用いずハングルのみで日本語の単語を表記している。モンゴル語や満州語についても同じである。
このようにハングルは、従来すでに外国語音の表記に使われているのであって、将来的にハングルの多角的利用の可能性は充分に考えられる。第561回ハングルの日を迎えて、ハングルと韓国語を学ぶ人たちが更に増えることを願ってやまない。(梅田博之・前麗澤大学長)
うめだ・ひろゆき 1931年生まれ。東京大学大学院卒業。文学博士。元麗澤大学学長。