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2007/08/24

<韓国文化>夭折した韓日俊英の跡をたどる

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    文承根 「無題」 1971年 千葉市美術館蔵

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        文承根 「活字球」 1973年京都国立近代美術館蔵

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    八木正 「TWO STICKS FLOOR LINE」 1980年 千葉市美術館蔵

 「文承根+八木正 1973-83の仕事」展(京都国立近代美術館と千葉市美術館の共催)が、京都国立近代美術館で開催中だ。京都を拠点に活動し、80年代に逝去した文承根と八木正の足跡をたどる貴重な展示会である。

 石川県生まれの在日2世、文承根(ムン・スングン、1947~82)は1960年代後半からほぼ独学で美術表現を開始し、69年の第5回国際青年美術家展で受賞(日本名の藤野登で発表)、美術家としての才能を認知された。70年代に入っても文承根は他の作家と交流することは少なく、孤高を保ちつつ独自の研究と実践を続けた。

 しかし、文の作品は、当時のコンセプチュアル・アート、絵画や彫刻、版画などが挑んでいた最も先鋭的な批評の問題に真摯に取り組んだものであり、残された立体や版画、水彩の作品は深い批評性と高い完成度を示している。透析を繰り返しながら作家活動を行っていた文だが、次第に病状が悪化し、1982年に帰らぬ人となった。

 一方、在学中から作品が注目されていた八木正は、79年に京都市立芸術大学・彫刻科を卒業後、わずか5回の個展を開催しただけだが、その作品は70年代のミニマリズムの造形的呪縛を止揚するかのような、重層的な曖昧さと強固な存在感を放つものとして、強く記憶されている。

 八木正の作品は、70年代と80年代の狭間に、フォーマリズムからポストモダニズム的な視線の拡散への接点に位置していたと言うことができるかもしれない。さらなる展開を期待されていた八木正は1983年に白血病のため急逝した。

 文承根と八木正には、京都を活動拠点としていたこと、70年代後半から80年代初頭の活動時期が重なること、他の作家との直接的な関係においての制作ではなく、自らの関心と課題とを試行錯誤において独自に発見していった作家であることなどの共通項を見出すことができる。

 同展は 文承根と八木正の作品を網羅する回顧展ではなく、京都国立近代美術館と千葉市美術館の所蔵品のみで構成されており、半世紀前に世を去った2人の俊才について、両美術館が続けてきた日常業務と作品研究の中間報告を兼ねた小規模な所蔵作品展という性格を持っている。

 いまも輝きを失わない彼らの作品を保存し記録し、記憶に残し、その作品を多面的に研究することは、70年代、80年代の日本の現代美術を再考する上で少なくない意味を持つ。

 京都国立近代美術館は文承根の遺族からの相談を受け、過去5年間、作品の保管と国内の主要美術館への作品情報の提供に協力してきた。千葉市美術館は八木正の作品を積極的に保管し、展示可能な状態を保つため作品修復の努力を続けてきた。

 同展は、その才能を惜しまれながら世を去った2人の美術家の作品を記録に残し、将来の研究のための原資料として保存してきた両美術館の日常的な努力と研究の蓄積を公表するものでもある。


■文承根+八木正 1973-83の仕事■

日程:
 8月7日~9月17日=京都国立近代美術館
 9月23日~11月4日=千葉市美術館
料金:
 京都=一般420円、大学生130円ほか
 千葉=一般500円、大高生350円ほか
問い合わせ:
 京都℡075・761・4111、千葉℡043・221・2311