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2008/10/17

<韓国文化>韓国映画の鬼才、東京で特集

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 韓国映画界の鬼才といわれた故金綺泳監督の特集上映が、第21回東京国際映画祭(18~26日)で行われ、7作品が一挙上映される。同企画を担当した石坂健治・東京国際映画祭アジア部門ディレクターに文章を寄せてもらった。

 去る5月のカンヌ映画祭は、10年前に亡くなったひとりの韓国人監督の作品に沸き立っていた。金綺泳(キム・ギヨン/1919~98)の『下女』(1960年)。そのシュールな作風から韓国映画史上の“怪物”と呼ばれ、今をときめく若手映画人たちにも大きな影響を与えた巨匠である。しかし活躍のピークが1960年代だったこともあり、生前はその業績が半ば忘れられていた。

 ところが没後、状況は一変する。国際交流基金(日本)や釜山国際映画祭(韓国)が特集を組んだのをきっかけにして、その名は徐々に世界に広がり、昨年は映画の殿堂といわれるシネマテーク・フランセーズが一大回顧展を開催。今年はついにカンヌにまで到達した。『タクシー・ドライバー』や『ギャング・オブ・ニューヨーク』で知られる名匠、マーティン・スコセッシ監督が『下女』を観て驚嘆し、自身が主宰する世界映画財団(WCF)が推進する旧い名作の発掘・修復プロジェクトの対象に指定。修復作業を経て鮮やかに甦った『下女』がカンヌでお披露目されたのだった。

 裕福な音楽教師の一家がひとりのメイドによって崩壊していくさまをホラー映画にも似た緊迫感とともに描きだし、人間同士のエゴがぶつかり合う凄まじい場面の連続や、デフォルメされた舞台美術が強烈な印象を残す『下女』は、金綺泳が生涯にわたって連作した「女シリーズ」の第1作にしてその頂点をなす傑作といわれている。

 冒頭、子どもたちがアヤトリ遊びを延々と続け、そこに漢字で「下女」の文字があらわれ、どろどろと溶けていく。カンヌではここで早くも悲鳴にも似た歓声が起こり、上映後は長い拍手が続いた。“金綺泳ワールド”はヨーロッパの観客をすっかりノックアウトしてしまったのである。

 たとえば小津安二郎監督は『晩春』『麦秋』など、“娘が嫁ぐ”という物語を繰り返し映画にしたが、金綺泳もまた同じテーマを生涯にわたって追究するタイプの芸術家であった。ただしこちらのテーマは“男を滅ぼす女”である!

 『下女』にはじまり『火女』『虫女』『水女』『火女82』『自由処女』に連綿と続いていく「女シリーズ」は、ブルジョワ市民や医師、大学教授といったセレブな男どもが“運命の女”と出会い、滅亡していくという、ホラー顔負けのコワい作品群である。しかもストーリーや細部の描写は男性中心主義から遠く隔たり、女性の視点、女性原理が貫かれているため、マッチョな映画がめだつ韓国映画では例外的にフェミニズム研究の対象としてしばしば取り上げられ、高く評価されるほどである。

 人間も動物の一種にすぎず、種の保存をつかさどる女性を中心に置くという生物学的な世界観が映画に反映されているのだが、これは金綺泳が医師から映画界へ転身した人物であることとも関わっているような気がする。

 筆者がディレクターをつとめる東京国際映画祭「アジアの風」部門では、上記の「女シリーズ」5作品を一挙に上映するほか、昨年上映して大きな反響を呼んだ『高麗葬』もアンコール上映する。韓国の姥捨て伝説を扱った名作である。日本映画で“姥捨て”といえば2本の『楢山節考』がある。1958年の木下惠介監督版と1983年の今村昌平監督版だが、『高麗葬』はそのいずれとも似ておらず、日本的な叙情とは全く異なる峻厳な世界が展開される。老女がハゲタカについばまれる終盤の凄まじさは日本版の比ではない。


  キム・ギヨン 1919年ソウル生まれ。ソウル大学法学部卒業後、戦前の日本で医学も修める。1955年『死の箱』で監督デビュー。『下女』(60)、『火女』(71)、『虫女』(72)などの「女シリーズ」をライフワークとして連作する。『玄界灘は知っている』(61)
制作のため、本紙の招請により来日し、協力によって女優選出と撮影に取り組み完成、韓国で大ヒットした。ほかにも『高麗葬』(63)、『破戒』(74)、『異魚島』(77)などの異色作で韓国映画界の怪物と呼ばれ、生涯で32本の作品を残した。98年2月、不慮の火災事故で逝去。


■金綺泳監督特集■
日時:10月20日~25日
場所:TOHOシネマズ、シネマート六本木で日替わり上映
*料金など詳細は℡03・5777・8600
公式サイトwww.tiff-jp.net/m/