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2008/08/01

<韓国文化>朝鮮児童文学への日本の影響を検証

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    日本近代児童文学の開拓者である久留島武彦(1874-1960、写真右)と巌谷小波(1870-1933、同右)

 韓国出身の近代文学研究家、金成妍さん(キム・ソンヨン、29)の博士論文「越境する文学―朝鮮児童文学の生成と日本児童文学者による口演童話活動」がこのほど、久留島武彦(くるしま・たけひこ)文化賞を受賞した。植民地時代、日本児童文学者の韓半島での口演童話活動が、朝鮮児童文学にどんな影響を及ぼしたか考察した貴重な論文だ。その要約を紹介する。

 朝鮮児童文学の成立に関しては、1908(明治41)年に崔南善(チェ・ナムソン)が創刊した『少年』を端緒とし、1923(大正12)年3月に天道教少年会を主導していた方定煥(ハン・ジョンファン)らの天道教幹部によって創刊された少年雑誌『オリニ』を出発点とする見方が定説となっている。だが、朝鮮では『オリニ』が創刊されるおよそ10年前から京城日報社による「お伽講演会」が頻繁に催されており、日本からは巌谷小波(いわや・さざなみ)や久留島武彦などの児童文学者が招聘され、口演童話活動を行っていた事実がある。

 日本統治下に置かれた植民地期という歴史的な背景をふまえると、朝鮮で行われた日本人の口演活動は極めて重要な意味をもっていたと考えられ、そうした口演活動の役割を検証しなければ、約10年後に胎動する朝鮮児童文学の成立に関する全体像を把握することはできないのである。

 口演童話は明治末期に巌谷小波と久留島武彦によってその基礎が築かれたのち、大正期に入って、児童教育への関心の高まりとともに一大ブームを巻き起こし全国に広まった活動である。朝鮮でも「京日コドモ会」「朝鮮童話普及会」といった組織が創立され、日本語による口演活動が各地で展開された。

 また、朝鮮を訪問した日本児童文学者は口演活動と同時に幻灯機を用いて朝鮮の風景や朝鮮の子どもの姿を映像に納めて日本に帰り、今度は逆に日本全国津々浦々で巡回講演を行っている。その講演では植民地の実情を伝えるために幻灯映画が上映され、宗主国日本という立場から教化されるべき対象としての朝鮮が浮き彫りにされると同時に、中学校や専門学校の学生および一般青年の関心を植民地に向かせようとする動きにも役立てられている。

 しかし、口演童話活動をはじめとして、植民地期の朝鮮において日本人が行った児童文化活動に関する先行研究は皆無に等しいのが現状である。そこには、この問題に関する同時代資料の乏しさ、および、日本語資料と韓国語資料を複眼的に考察することの困難と、口演童話というジャンルそのものについての研究の遅れ、といった研究上の障壁があったからである。

 そこで、植民地期朝鮮で刊行されていた『京城日報』、『毎日申報』、『朝鮮日報』、『東亜日報』を基本資料として取り上げ、1910年から1940年までの記事を一枚ずつ捲り、日本人によって行われた児童文化活動に関する記事及び児童文芸物をデータ化する作業を重ねてきた。その結果、朝鮮における日本児童文学者の口演童話活動年譜を完成するに至った。

 日本の各地に広まった口演童話の勢力が朝鮮に及んでいく過程については、巌谷小波、久留島武彦、大井冷光の活動を通して考察したい。巌谷小波、久留島武彦、大井冷光の口演童話会を開いて大成功をおさめた京城日報社、および、それに続く日本語メディアの動向と、朝鮮内に勃興した天道教少年会を中心とした少年運動の動向とを同時代的な二つの運動として追究したい。

 1920年代に入ると、朝鮮において「児童」という概念が認識されるようになり、「児童解放」を主張する新生の機運と、この新生の流れに乗るかたちで児童文学が誕生している。なお、この問題にアプローチするためのテキストとしては、『京城日報』に掲載された児童文学物、「子どもの日」に集約される少年運動に関する新聞記事などのデータが重要な柱となる。

 たとえば、日本の児童文学者が朝鮮を訪問するたびに口演を依頼し、「京日お伽講演会」を設けていた京城日報社は、やがて「京日コドモ会」という組織を立ち上げ、日本児童文学者を招聘するに至る。また、1923年に行われた巌谷小波の「全鮮巡回お伽講演会」を機に「朝鮮童話普及会」が組織され、1926(大正15)年には佐田至弘による「朝鮮児童協会」と「童心社」が、1927(昭和2)年には「京城児童連盟」が設立された。

 「全鮮巡回お伽講演会」は、全国各地に道庁、学校を含む朝鮮総督府所属の官公立機関及び地方有志による支持、協力を得て開催されたものである。20日間という短期間でありながら60回もの口演が企画され、6万人以上の聴衆が動員されるという、特色を持つ。

 最後に、朝鮮で口演童話活動を終えた日本児童文学者が日本に帰った後執筆した朝鮮に関する童話、または行った講演を追究し、彼らが持ち帰ったもう一つの「物語」について考察したい。例えば、「朝鮮虎狩作戦」が大々的に行われていた時期に朝鮮を訪れ、口演活動を行った久留島武彦は、日本に帰った後朝鮮の虎をモチーフにした「虎の胃袋学校」(『婦人画報』115号、1915年11月1日)と「解らぬ虎の児」(『キング』1巻4号、1925年4月1日)、そして「虎の児の大発見」(『童話・久留島名話集』、1934年1月10日)といった童話を創作した。3編とも久留島武彦の代表的な創作童話である。

 虎には病鬼や邪気を祓う力があると信じられ、古くから朝鮮民族において神獣として奉じられてきた。その朝鮮の虎像が、久留島武彦によって「臆病の虎」として再構築される。そのような「物語」を通して、日本人の朝鮮に対する認識がどのように構成されていったのかは興味深い。


  キム・ソンヨン1978年釜山生まれ。慶州大学観光日本語学科卒。九州大学大学院日本社会文化専攻博士課程修了。久留島武彦など日本児童文学者の口演童話活動を研究。