アジア各国に居住するコリアンの作品を集めた「アジア移住作家展(コリアン・ディアスポラ)―アリランの花の種」が、韓国の国立現代美術館で開催中だ(9月27日まで)。美術評論家のアライ=ヒロユキさんに、同展の意義について文章を寄せてもらった。
在日志向か本国志向か。これまでの2項対立を超えるグローバルなコリアン・ネットワークの道を、いま在日は模索し始めている。
たとえば、アートの分野では内外で果敢な活動を展開した、美術グループのアルン・アート・ネットワークがある。そして、この潮流に呼応するかのように、ソウルでも特筆すべき展覧会が開かれた。題して「アジア移住作家展(コリアン・ディアスポラ)―アリランの花の種」。
これは、自然災害、日本帝国の侵略、ソ連の強制移住政策などで、20世紀にアジア各地へと離散したコリアンの美術作品を一同に集めたもの。具体的には、日本(在日コリアン)、中国(朝鮮族)、旧CISのカザフスタンとウズベキスタン(高麗人)の作家など、32人が出品。このうち、日本が15人とほぼ半数を占める。
これまで在日のアートをまとめて紹介した展覧会としては、先のアルンのほか、国際美術展・光州ビエンナーレの特別企画で、在日の実業家・河正雄(ハ・ジョンウン)氏のコレクションをもとにした「在日の人権」展がある。しかし、いずれも体系的なものではなく、今回の意義はきわめて大きい。
展示では、在日の作品は制作年と特徴から3つに分類された。まず1945~60年代の社会運動を背景にしたリアリズム美術。在日だけでなく、戦後日本そのものの人間疎外を索漠とした倉庫やマンホールに託して描いた曺良奎(チョ・ヨンギュ)が出色である。三・一独立運動での日本軍の虐殺に朝鮮戦争をオーバーラップさせた全和凰(チョン・ファファン)の「ある日の夢(銃殺)」も深い印象を残す。
2つめは70年代以降のモダニズム、つまり純粋造形の美術。ここでは高山登、近年再評価の進む文承根(ムン・スングン)、郭仁植(クァク・インシク)らがあげられている。3つめはグローバリゼーション化におけるアイデンティティの追求。郭徳俊(クァク・ドッチュン)、それに70年代生まれの若い作家が紹介された。
ともすれば在日のアートはリアリズム系への言及が多いだけに、若い世代の動向の紹介は貴重である。ほか、アルンの活動や代表の廬興錫(ノ・フンソ)の作品も展示。
ひとつ気になるのはニューカマーの展示がなかったこと。たとえば、もの派の李禹煥(イ・ウーファン)や、来日して生け花を学んだ異色の作家、崔在銀(チェ・ジェウン)などが抜けている。これは在日をどう捉えるかに関わってくる。日本での出生のみが「在日」であり、ニューカマーは「韓国人」(の延長)という認識は在日のリアリティを反映していないし、国家にとらわれた発想にも思える。
中国東北地方に居住する朝鮮族は少数民族の扱いになり、現在約200万人。第一世代の作家は戦前ヨーロッパで西洋美術を学び、後に社会主義リアリズムに傾倒した作品を制作する。牧歌的なタッチが魅力の韓樂然(ハン・リラン)はその代表格で、多くの抗日画を描いた。中華人民共和国の成立後は、プロパガンダ芸術が主流となる。朝鮮族の表現もそれにならい、李富一(リ・フイ)がその筆頭。改革開放後はさまざまな表現が模索され始める。金于(ジン・ユ)や朴光燮(ピァオ・グァンジ)らのポップな表現には世界市場を見据えたしたたかさがある。
旧CIS・中央アジアの高麗人は53万人超を数える。そのうちカザフスタンは10万人、ウズベキスタンは7万人。この地では、ソ連成立後、古典的なリアリズムにもとづく西欧美術の教育が初めて行われた。朝鮮を含めたアジアの情報も得られず、高麗人は移住先の伝統造形を取り入れ、独自の表現を花開かせた。カザフスタンのボリス・ペトロヴィッチ・パク、ウズベキスタンのウラジミール・キムが出色。ウズベキスタンのニコライ・セルゲイビッチ・シンの「レクイエム」は幅44㍍もある絵画である。スターリンによる中央アジアへの強制移住をモチーフに壮大な叙事詩にまとめあげている。様式された絵画表現は一大収穫と言える。彼の生涯は韓国のキム・ソヨンの手により「空色の故郷」という題名でドキュメンタリー映画化された。
ほかシベリア沿海地方出身で、高麗人作家の中でもっとも著名だったウォルリョン・ビュンの作品も展示された。「漁婦」など、庶民の日常を生き生きと描いたリアリズムの作品が心に残る。
今展は韓国で反響を呼んだが、在日がまだまだ知られていない珍しさも手伝っているようだ。学芸員の朴スジンはテーマを、民族ではなく人であり、時代や社会の苦難を乗り越えようとする人そのものの可能性と述べる。ただ評には民族的なセンチメンタリズムから捉えるものも多く、温度差がある。だが日本では在日の存在と在外日本人(たとえばオノ・ヨーコ)の表現を除外した内向きの美術史への疑問が片鱗もないことを考えれば、韓国の今回の試みはその数歩先を行くものと言える。