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2009/04/24

<韓国文化>芸術を通し日韓親善を求める

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    あさかわ・のりたか 1884年山梨県生まれ。1906年山梨県師範学校(現山梨大学)卒業。1913年朝鮮に渡り、京城(現ソウル)府立南大門公立尋常小学校の訓導になる。1921年柳宗悦、弟の巧とともに朝鮮民族美術館を構想し始める。1924年京城に朝鮮民族美術館開館。1946年同館の収蔵品整理にあたる。日本へ帰国。1956年『李朝の陶磁』刊行。1964年80歳で死去。

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    白磁壷 朝鮮時代(17世紀後半~18世紀前半) 広州官窯 鈴木正男氏寄贈

 弟の巧とともに韓国陶磁研究の第一人者であった浅川伯教が収集したやきものと遺品を紹介するテーマ展「鈴木正男氏寄贈 浅川伯教が愛した韓国のやきもの」が、大阪市立東洋陶磁美術館で開かれている。浅川伯教の生涯を知る貴重な展示だ。

 伯教の韓国陶磁の研究方法は、当時としては画期的なものだった。朝鮮の古文献に基づいて窯跡を探索し、朝鮮時代の陶磁器の変遷を現地調査を通して明らかにしたのだ。その成果は『李朝の陶磁』(1956年ゴ座右寶刊行會)その他の形で公表された。のちの朝鮮戦争によって窯跡の多くが破壊され、今では貴重な記録となっている。また、実際に操業中の窯場で作陶に従事し、その制作技法を確かめ、スケッチなどの絵画も残した。

 韓国の陶磁に寄せる伯教の思いは、研究のみならず、その復興にまで及んでいる。長い伝統をもつ技術が絶えることへの危機感から、朝鮮陶業試験場に通い、高麗青磁の製法を研究した。そして、その願いはのちに陶芸分野の重要無形文化財保有者となる池順鐸(チ・スンテク、1912―1993)に受け継がれ、高麗青磁の復元へとつながった。

 伯教が韓国人に託したのは、それだけではない。戦後、研究資料としてそれまで収集した韓国陶磁と多くの陶片を韓国に寄贈した。彼の生き方を象徴的に物語るエピソードだ。このような伯教の陶磁研究は、現在でも日本のみならず韓国の研究者からも高く評価されている。

 伯教は、韓国陶磁のなかでも、とくに高麗茶碗に強い思い入れがあったようだ。高麗茶碗とは、桃山時代に成立する侘わび茶のなかで高く評価された、おもに朝鮮時代の素朴な茶碗である。その生産地についてはいまだ不明な点が多く、伯教の高麗茶碗研究も、生産地や伝来を調べることから始まった。対馬の宗家のほか、益田鈍翁や藤原銀次郎、根津嘉一郎らの好意によって日本各地にある高麗茶碗の名品を調査し、さらに韓国の南海岸地域の窯跡を踏査して、1930年には研究成果を『釜山窯と対州窯』(彩壺會)としてまとめた。

 伯教はまた、以上の基本的な研究手法のほかに、実際に使う立場からその技法や意図を探ろうとしている。つまり、自分の生活に取り入れ、「よき使用者」として高麗茶碗の美意識を追求し、そこからさらに、日韓の文化的関係を理解しようとした。高麗茶碗研究の先駆者として位置づけるべきであろう。

 伯教には、芸術家としての顔もあった。はじめ小学校の美術教師として朝鮮半島に渡った伯教は、彫刻家ロダンに傾倒し、まもなく教職を離れる。1919年に新海竹太郎の内弟子となると、1920年第2回帝展に「木履の人」が入選するなど、彫刻家としての制作活動に没頭した。1922年、再び朝鮮半島に戻ってからも、陶磁研究のかたわら、朝鮮美術展覧会に出品を続ける。その作品はいずれも朝鮮半島の人々や陶磁器を主題としたものだった。

 伯教は「朝鮮人と内地人との親善は、政治や政略では駄目だ。やはり彼の芸術、われの芸術で有無相通するのでなくては駄目だと思う」(「京城日報」1920年10月13日)という談話を残しており、彼が当時の社会の状況に批判の目を向けながら、芸術活動を通した日韓親善を希望していたことがうかがえる。

 本展に見られる伯教の絵画は、窯跡のスケッチや作陶、窯焚きの光景を描いたもので、伯教が日常生活の中でしたためたものといえる。大らかな線で描かれたどこか温かみのある作品は、芸術家伯教のもうひとつの魅力を伝えている。

 浅川伯教と「民藝」の文化人たち、とくに柳宗悦(1889-1961)との交流は、伯教が贈った韓国のやきものを通じて始まった。

 1914年、柳を同人とする雑誌『白樺』を愛読していた伯教は、当時心酔していたロダンの彫刻1点を柳が預かっていることを知り、作品を見るため訪問する。このとき伯教が土産に携えた「青花秋草文面取壺」(日本民藝館所蔵)などの美しさに感激したことは、柳に朝鮮時代のやきものに目を開かせる契機を生んだ。以後、柳に通じて富本憲吉ら陶芸家たちもしばしば朝鮮を訪れ、伯教も雑誌「工藝」に著作を発表するなど、彼らの交流は「民藝」活動の礎を作っていった。

 朝鮮半島の人と文化への共感に根差した浅川兄弟の活動に感銘を受けた柳は、「朝鮮民族美術館」の設立を決意し、彼らとともに準備に奔走する。1924年に設立されたこの美術館の収蔵資料は、終戦を迎えると伯教の手により整理され、現在の韓国国立中央博物館に引き継がれた。

 当時足しげく浅川兄弟を訪ねた柳の手記には、伯教の所蔵品であった「青花辰砂蓮花文壺」を目にしたときの感動と衝撃が色鮮やかに記されている。(図録より)


■浅川伯教が愛した韓国のやきもの
日時:開催中(7月20日まで)
場所:大阪市立東洋陶磁美術館
   (京阪線なにわ橋駅下車)
料金一般500円、高大生300円
℡06・6223・0055