今年は寅年。京都の高麗美術館では新春特別展「朝鮮 虎展」が、1月9日から2月14日まで開かれる。韓半島で描かれた朝鮮虎の絵とそれを手本にしたと見られる江戸時代の画家、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)の作品などを紹介する貴重な展示会だ。同館研究員の片山真理子さんに文章を寄せてもらった。
2010年は寅の年。朝鮮半島にはかつて、野生の虎が多く生息し、人々は恐れを抱いたものだった。山に入るときには山神(さんしん)を祀る祠(ほこら)で無事を祈り、虎の爪を魔よけとして身につけた。虎の骨や髭は薬としても貴重であり、虎は特別な存在として崇められた。
国土の大半が山林に覆われる朝鮮半島では、頂点に君臨した肉食動物が虎であり、山霊と見なしてきた。虎の図像は朝鮮の美術工芸品にも姿をあらわし、人々が単に猛獣に恐れをなすという図式ではなく、畏敬の念を込めて、虎を特別視してきた歴史が見える。まずは、虎の生態について理解を深め、そして虎の美術について探ってみたい。
朝鮮時代には松樹の下に虎が描かれる絵があり、松にはカササギ(鵲)がとまっている。「鵲虎図(じゃっこず)」といわれるもので、ときには豹と思われる斑紋をまとったものも見られる。これは中国由来のもので、この信仰は近代に至っても継承されている。
中国の民間信仰を図案で紹介した書籍『中国図案解題』(野崎誠近編 平凡社 1928年)の「報喜図」には空中を舞う鵲(カササギ)と豹が描かれており、鵲そのものを吉兆のしるしとし、「報(BAO)」と音通の「豹(BAO)」を同時に描いて、吉祥的寓意を示す。
鵲虎図の淵源は中国由来と見なすことができるが、鵲虎図の獣はしばしばそれが「虎」なのか、「豹」なのか、という議論がおこる。
「鵲虎図」は「虎鵲図」ともいうが、「豹鵲図」という表現はない。京都妙心寺塔頭・東海庵所蔵の明代の鵲虎図「子連虎図」には豹柄の毛皮であらわされた子が親の足元に描かれており、虎と豹が同種、同類の動物と見なされていたことが推測できる。
正伝寺に伝わるこの虎図は李公麟(イ・ゴンニン)画と伝わっている。虎の描写は写生という意味ではかなり減退した表現であらわされており、枯木の荒々しい表現は明代浙派の影響が顕著となった朝鮮時代中期の作と見なすことができ、今日では朝鮮の絵と解釈する傾向が強い。日本の人々にとっては、自国内に生息しない虎は早くから人々の興味の対象となり、絵画のモチーフに多数登場する。
江戸時代には伊藤若冲(1716~1800)は狩野派のほか、手本を宋元の古画にもとめ、臨摸することが極めて多く、この竹虎図とほぼと同一の図像をもつ絹本著色の虎図(エツコ&ジョー・プライスコレクション)も描いており、それには本来であれば実物から写生したものでなければ描かないが、日本には虎がいない為に南宋の画院画家が描いたものとして正伝寺に伝わった虎図に従って制作したという背景が知られている。
活躍の場がおなじ京都にあって、正伝寺の虎図が若冲の眼にとまった事実は自然の流れといえるだろう。
「朝鮮 虎展」では朝鮮の虎図をもとに描いた若冲の虎図を並べ見て、若冲画から日本美術の広がりが実感できるだろう。
■朝鮮 虎展■
日時:1月9日~2月14日
場所:高麗美術館
(京都市北区紫竹上岸町15)
料金:一般800円、大高生600円
電話:075・491・1192