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2010/07/30

<韓国文化>韓国伝統音楽の真髄を極める

  • 韓国伝統音楽の真髄を極める

    東京・紀尾井ホールで開かれた黄さんの講演と演奏会は大好評だった

 韓国の伝統楽器・伽倻琴(カヤグム)の演奏家で作曲家でもある黄秉冀(ファン・ビョンギ)さんが、第21回福岡アジア文化賞の大賞を受賞した。伽倻琴の演奏家として、韓国伝統音楽の真髄を極め、その発展に尽力したのはもちろん、音楽を通した南北交流、アジア音楽全体の発展にも貢献してきた。それらを総合的に評価されたことが、福岡アジア文化賞の大賞受賞につながった。黄さんは先日、東京で講演と演奏会を行い、集まった聴衆を魅了した。 

 黄秉冀氏は1936年ソウル生まれ。50年韓国戦争時に疎開した釜山で初めて伽倻琴に出会い、その美しい音色に魅了される。51年から59年まで国立国楽院で伽倻琴を学び、59年ソウル大学校に国楽科が創設されるのを機に講師として教壇に立つ。その後、74年から01年まで梨花女子大学校韓国音楽科の教授を務めながら、欧州や米国など各地で公演を行った。

 現在、梨花女子大学校の名誉教授であるとともに、06年から国立国楽管弦楽団の芸術監督を務めている。

 韓国音楽界に多大な貢献を果たす一方で、優れた演奏家、作曲家として1957年のKBS全国国楽コンクール最優秀賞をはじめ、65年国楽賞、92年中央文化大賞、03年方一榮国楽賞、06年大韓民国芸術院賞など名誉ある賞を数々受賞し内外で高い評価を得た。伝統音楽の創作に先覚者として力を尽くしている。その黄秉冀氏に話を聞いた。

 ――散調とはどういうものか。

 散調とは韓国の器楽独奏曲の形式だ。西洋にはソナタ形式というものがあるが、韓国で一番重要なものは散調だ。

 これは昔からあったものではなく、19世紀後半に全羅南道の民俗音楽家たちが始めた音楽だ。全羅南道の音楽家が用いたのが「長短(チャンダン)」で、遅いテンポから速いテンポに次第に移っていく。この各「長短」が楽章に当たる。「長短」は単なる拍子ではなく、リズムの一つのグループと言える。そして、こうした長短が大きな楽章を作る。一つの楽章には旋律の動きの特徴もある。この旋律の動きを「調(ジョ)」という。

 代表的な調が「界面調(ケミョジョ)」といわれ、南道音楽の基本で重要な調で、悲しい感じがする。

 ――黄秉冀氏はどのようにして散調を習ったのか?
 
 私が金允徳先生(キム・ユンドク、1918~1978)から教えていただいた散調は、金先生が丁南希先生(チョン・ナムヒ、1905~1984)から習ったものだった。1952年から1958年まで6年間習った。毎日、先生の所に通い、楽譜が無いので耳で聴いて覚えた。

 練習時間は一日1時間ぐらいだったが、他の生徒と一緒に練習したり、夜になり先生にご飯をご馳走していただいて、また食後に練習したりすることもあった。弾けるようになるには、少なくとも3年はかかると言われたが、3年間だけでは非常に難しいと思った。

 韓国では、先生から教わった曲をそのまま弾くのは非常に良くないという考え方がある。先生から教えていただいたものを基本に、長い年月をかけて本人の努力と独創性で独特なものを作るのが良いと言われ、これが日本と違うところだと思う。

 私は先生から約40分間の散調を教えてもらったが、その後50年ほどかけて再構築し、現在の8楽章70分間の形になった。これが「丁南希制黄秉冀流伽倻琴散調」だ。

 ――伝統音楽の教育について。

 1959年にソウル大学に国楽科ができて、初めての講師を務めた。一週間に一回レッスンをする形式になった。毎日口頭伝承するのではないため、楽譜を作る必要性を感じ、五線譜に記譜することにした。五線譜では全てを表記できないので、符号を付け加えることにした。

 以前の伽倻琴演奏家は散調一本で一生を終えるのが普通だったが、現代では楽譜ができたこともあり、それぞれの人が自らの散調を作るのは難しい状況にある。したがって新たな流を作るよりは、他の人が作った作品も弾く様になっている。


◆福岡アジア文化賞◆

 アジアの学術・芸術・文化に貢献した個人、団体を顕彰するため、90年に創設。今年で21回目。

 授賞式は9月16日、福岡国際会議場(博多区石城町)で行われる。同17日には、市内の高校・中学・小学校へ受賞者が訪問し、講演や生徒との交流を行うほか、同17日~19日に各受賞者による市民フォーラムも予定。