韓・日・独・英の4カ国語版によるシェークスピア原作『リア王』が、17日から21日まで、東京・吉祥寺の吉祥寺シアターで上演される。劇団SCOT(鈴木忠志代表)の代表作で、リア王をモチーフに、現代社会の家族崩壊と高齢化問題を描いている。鈴木忠志さんに話を聞いた。
――今回上演される4カ国語版『リア王』は、どういう作品か。
世界あるいは地球上は病院で、その中に人間は住んでいるのではないか、私は、こういう視点で多くの舞台を創ってきた。戯曲作家の中には、それは困った考えだという人もいるかもしれないが、優れた劇作家の作品は、この視点からの解釈やその舞台化を拒まないというのが、私の信念だ。
シェイクスピアの『リア王』を素材にして演出した舞台も例外ではない。
主人公は家族の絆が崩壊し、病院の中で孤独のうちに死を待つしかない老人である。その老人がどのような過去を生きたのか、その老人の回想と幻想という形式を借りて、シェークスピアの『リア王』を舞台化したのがこの作品だ。
シェークスピアの描いた作品『リア王』の中から、老人の孤独感とそれゆえに精神的な平衡、あるいは平静さを失う人間の弱さや、惨めさに焦点をあて、それは時代や民族の生活習慣を越えて普遍的な事実なのだということを強く主張しようとしたためである。
つまり、ブリテンの王リアという時代と空間において特殊に規定された人がすさまじい孤独と狂気を生きたのではなく、老人というものが、いつの時代でも、どこの国でも、リア王と同じような孤独と狂気の人生を生きる可能性があることを示そうとした私の演出上の作戦である。
だから、これはシェークスピアではないと言われればその通りだが、優れた文学作品がいつもそうであるように、時代や民族のちがいを越えて、人に人生を考えるための糧を与え続けたという意味では、その偉大さは十分に敬意が払われたと了解してもらいたい。
――『リア王』が現代社会に問いかけるものは。
さきほど私は、人間はすべからく病院にいると答えた。人は病院である以上、医者や看護婦がいると考えるだろうし、病人の病気は恢復の希望があるだろうと考えるだろう。しかし、世界あるいは地球全体が病院だと考える視点においては、この考えは成り立たない。
人間は医者や看護婦の存在や助けを借りないでも、自分を含めた人間は病人なのではないかという疑いを持ち続けることはできる。
こういう疑いを持つ人たちこそが、優れた芸術家として存在してきたし、なぜその疑いを持ったのかを公に発表したのが作品と呼ばれるものだと考えている。
私も私自身が病人ではないかと疑っている。そして、その原因は何に起因しているかを絶えず考え続けている。その考察あるいは分析の結果のひとつが、シェークスピアの『リア王』に刺激を受けて創ったこの『リア王』だ。
世界あるいは地球全体が病院である以上、快癒の希望はないかもしれない。しかし、いったい人間はどういう精神の病気にかかっているのかを解明することは、それが虚しい結果になるとしても、やはり現代を芸術家(創造者)として生きる人間に課せられた責務だと信じている。
――各国で役者のけいこ、演出など違いはあるか?
日本でも韓国でも、どこの国でも、基本的に俳優に違いはない。優れた人は非常に意欲的だ。
――韓日の演劇交流、文化交流について。
韓国の演劇人のエネルギー、政府の文化政策などは、日本よりすばらしいと思っている。韓国から早く世界に貢献する演劇人が輩出されることを願っている。そのために、私に何か力になれることがあればやりたいと思い、今回の『リア王』にも韓国人の俳優に参加してもらった。今後は韓国で演出もしたいと思っている。
■『リア王』4カ国語版■
日程:17日~21日
場所:吉祥寺シアター(東京・吉祥寺)
料金:5000円
電話:03・3445・8011