文房具入れ、針箱、水筒などの多彩ないれものを集めた高麗美術館コレクション名品展「朝鮮のかわいい いれものたち展」が、京都市の高麗美術館で開催中だ。同展を担当する高麗美術館研究所の松浦萌子さんに文章を寄せてもらった。
私たちの身近にある「いれもの」は、木や土などの自然素材で道具を生み出すという人々の知恵とともに発達し、実生活の必需品となっている。それらは、「ものを入れて、しまう」という本来の機能だけではなく、生活に彩りを添える鑑賞の対象にもなった。
朝鮮において「いれもの」は風土や歴史のなかで生み出され、日々の暮らしに親しまれてきた。ここでは、そのいくつかの事例を通して、本展の見どころをご紹介したい。
朝鮮の人々に広く愛用されてきた「いれもの」の一つに、高麗時代(918~1392)を代表する「青磁」と朝鮮時代(1392~1910)に隆盛を極めた「白磁」を挙げることができる。
これらは、土を成形して釉薬を掛け、高温で焼くという高度な発達を遂げた陶芸技術により、仕上がりが固く丈夫であるという利点をもたらし、宮廷の宴席から、官人・庶民の食卓などで幅広く活用された。
ではそのような「青磁」と「白磁」は人々とともにどのように発展してきたのか。高麗時代は貴族層により新首都、開京(ケギョン、開城/ケソン)を中心とした王宮・官庁・寺院・邸宅が建てられ、室内を装飾するための花樽、実用のための酒器や茶器などの様々な用途を持つ陶磁器の需要が高まっていった。そうした中で生み出されたのが「高麗青磁」とされている。つまり、高麗青磁は高貴な器として使用され、王族の美意識を反映する生産体制のもとで生まれた。
続く朝鮮時代は儒教を国家の基本理念としたため、陶磁器にも「質素倹約」の精神を反映する純粋、簡素な「白」が求められた。宮廷用の御器(ぎょき)として「白磁」の需要が高まったのを機に専用の窯(官窯)ができ、ますます生産が盛んになっていく。白磁は主に王宮の宴のための礼器、祭祀のための壺、酒器として使われた。そして次第に民間にも普及したことで庶民の器としての性格も帯び、白磁は多くの用途を持ち広がっていった。
本展では、こうした青磁や白磁を実際に人々の手によって使用されてきた「いれもの」としての観点から概観することができる。
また、当館で数多く所蔵し、暮らしのなかの生活道具として重要な役割を担ってきたのが、「木のいれもの」すなわち木器である。当館所蔵の木器の製作年代がほぼ朝鮮時代中期以降ということからもうかがえるように、木器として多く現存し接することができるのは、多くがこの時期のものである。
本展では、主に上流層の両班(ヤンバン)(高級官僚)が過ごす男性の書斎、居間あるいは応接室を兼ね備えた「舎廊房(サランバン)」、女性が起居する「内房(アンバン)(または閨房(キュバン)とも称される)」という空間のなかで使われた木器を通して、当時の生活風景をイメージできる構成になっている。
舎廊房は、友人と議論を交わしたり、楽器を奏でたりする社交的な場であるとともに、思索にふけり学問に勤しむ場であった。そこには主に書物を保管する文匣(ぶんこう)、硯や筆などを納める硯床など文房具としての「いれもの」が備えられ、清雅な趣、質朴な味わいを持つことを美徳とした両班の精神が反映されている。
一方で、女性は子供を出産し育て、反物(たんもの)を織り裁縫をして衣服を作るなど、家事に従事することが主な仕事だった。そのため内房には、裁縫箱や身だしなみを整えるための鏡台、櫛(くし)箱、貴重品を入れる函(はこ)などが置かれた。内房には押入れがなく、男性や子供の寝室でもあったため、衣類を入れる函が発達し、時には大切な嫁入り道具ともなった。
このように、「いれもの」は歴史的背景と密接にかかわっており、多くの人が必要とするゆえに、使用する場に適った機能を備えている。機能性に忠実であるとともに、部屋のしつらえにあわせた調和を保ち、生活のなかにとけこんでいる朝鮮の「いれもの」。
本展ではそんな先人たちの使用した、どこかかわいい「いれもの」に詰まった魅力を楽しんでいただければ幸いである。
■高麗美術館コレクション名品展「朝鮮のかわいい いれものたち展」
日時:開催中(7月10日まで)
場所:高麗美術館(京都市北区)
料金:一般500円、大高生400円
電話:075・491・1192