特別展「倭人と文字の出会い」が、大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪)で始まった。韓半島や中国との交流の中で倭人は漢字を受け入れ、徐々に独自の文字世界を作り上げてきた。同展は、発掘された文字資料などを通して文字との出会いにスポットをあてていく。同館の廣瀬時習(ひろせ・ゆきしげ)学芸員に文章を寄せてもらった。
日本列島は、中国・韓半島などともに東アジア世界を形成し、それらの地域と深く交流し関係を築きながら歩んできた。なかでも弥生時代から古墳時代・飛鳥時代にかけては、水田稲作農耕の受容、様々な技術の受容など中国や朝鮮半島から社会的・経済的・文化的に多大な影響を受けた時代である。
一方で、この時代は日本列島の南北を除く地域が、文化的・政治的なつながりを深め、政治的なまとまりを形成した時期である。このまとまりは、東アジア世界との深いつながりの中、それらの影響を組み込んで展開しました。この時期は、まさに日本列島における古代国家の形成過程の時代である。
独自の文字を生み出さなかった倭人は、東アジア世界との交流の中で「漢字」に出会い、学び、使うようになる。中国で生まれた「漢字」は、東アジア世界の中心から周辺へ広がり、周辺諸地域を加えた漢字文化圏が形成された。
初期には東アジア世界の国際交流の公用語を表すための文字として、周辺諸国を結びつける情報伝達の大きな役割を果たした。東アジア世界とその周辺諸地域は、漢字を通じて交渉することによって中国文明とより深くつながり、そして様々な文化情報の伝達を濃厚なものとした。
日本列島に初めて文字がもたらされたのは、現在のところ弥生時代と考えられている。少なくとも弥生時代中期には北部九州の人々は、中国と交渉を持っていたことが知られており、そうした政治的・文化的交渉の中で持ち込まれた文物に書かれた文字資料が日本列島に伝わった。
古墳時代に入り、4世紀以降になると倭人と中国・韓半島との関係は、政治的・外交的な色彩を強めていく。倭人の本格的な文字使用のはじまりについては、5世紀の刀剣銘文に見ることができる。
5世紀には、中国南朝宋への「倭の五王」の遣使や韓半島をめぐる情勢の中で、多くの渡来人を組織的に組み込んで統治機構を整備した。こうした状況のなかで、文字は情報伝達・記録の媒体として定着したと考えられる。まさに、政治的な文字の利用が日本で始まった時代といえるだろう。
7世紀の文字資料のもっとも大きな特徴は、「木簡」が使われるようになることだ。この時代以降、倭人が自らの国を「日本」と中国で公言した8世紀初頭にかけて、文字は古代国家の支配システムの媒体として広まったと考えられる。
8世紀には、汎日本的な政治システムとしての律令体制が確立し、中央官庁から 地方官衙、さらに村々に至る文書中心の文書行政システムができあがる。
しかし、少なくとも8世紀には文字が支配の場面だけでなく、信仰や生活・そして文化的な場面にまで浸透していったことが明らかだ。倭人たちは、文字を政治的な道具として、情報の記録・伝達手段として、そして権威的な道具として、幅広くさまざまな社会的場面において使用している。
豊富な木簡資料の片鱗を垣間みることにより、文字資料の実態とともに、文字が不可欠なものとなっているが理解していただけるであろう。
倭人たちは「文字」としての「漢字」を受け入れる過程で、地理的にも中国に近く、早くから文字社会を形成していた朝鮮半島諸地域から、人的にも質的にも大きな影響を受けながら、次第に「日本語」の表記を確立した。近年、日本列島や韓半島での発掘調査による文字資料の充実によって様々な新たな知見が得られるようになってきている。この特別展では、日本列島に暮らした倭人達が「文字」と出会い、その重要性に気付き、それとどのように取り組んで来たかという、倭人の文字との格闘の歴史の一部に触れていただければと思っている。
■「倭人と文字の出会い」展■
日時:開催中(6月26日まで)
場所:大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡)
料金:一般600円ほか。
電話:0721・93・8321