朝鮮時代の絵画の名品約100点を紹介する「朝鮮時代の絵画―19世紀の民画を中心に」が、9月13日から11月23日まで、東京・駒場の日本民藝館で開催される。白土慎太郎・同館学芸員に文章を寄せてもらった。
朝鮮時代後期から末期にかけて、文化の大衆化が著しく進み、人々は絵画を屏風などにして家具や調度のように室内に配し、日常生活の中で用いてきた。その画題は用途により異なり、女性の部屋では富貴寿福を象徴する花鳥図、男性の部屋では山水図など、また儒教精神を表した文字絵のほか、虎鵲図や冊架図など、バリエーションに富んでいる。一般に「朝鮮民画」と呼ばれるそれらは、伝統的な描法や合理的な構図にとらわれることなく、明快でのびのびとした表現による、大らかな魅力に満ちている。
しかし、朝鮮民画が持つ「絵画的」な魅力が高く評価され出したのは、それほど古いことではない。
日本民藝館の創設者・柳宗悦(1889~1961)は、1920年代に朝鮮時代の陶磁器を初めて日本に紹介し、朝鮮時代の陶磁器の評価を飛躍的に高めた人物の一人として知られている。柳はその当時から、朝鮮民画について関心を持っていたようだが、それを積極的に紹介するようになったのは比較的晩年の時期にあたる。1950年代になると、柳は「蓮華図」(前・後期展示)や「花鳥図」(後期展示)をはじめとして、質の高い民画を数多く蒐集した。ちなみに、当時柳が入手した民画の一つ「文字絵」は、儒教精神を表す「孝悌忠信禮義廉恥」の八字を画題としたものとして知られているが、柳はそのうちの「悌」の字を文字図の字形から「福」あるいは「済」の字に誤読しており、当時「文字絵」という概念が全く知られていなかったことが分かる。
1957年、柳は「朝鮮画を眺めて」を発表、1959年にも「不思議な朝鮮民画」を発表した。それらは朝鮮民画の融通無碍な表現を高く評価した論考である。柳宗悦によるこれらのコレクションとその紹介は、日本に「朝鮮民画」が知られていく契機の一つとなっていく。
その後、韓国との国交の正常化や、日本の高度経済成長期を経て、1970~80年代にかけては数多くの朝鮮民画が日本に招来されたほか、朝鮮民画の初めての集成「李朝民画」(伊丹潤編、水尾比呂志・李禹煥解説、講談社、1975年)の刊行や、1979年には「李朝民画展」(新宿・小田急百貨店)が行われるなど、「朝鮮民画(李朝民画)」という呼称は一般にも次第に定着していくようになった。
この頃日本民藝館では、染色家の芹沢銈介(1895~1984)から、朝鮮民画のまとまった寄贈を受けている。優れた蒐集家としても知られる芹沢銈介の寄贈品には、文字絵や「祠堂図」(後期展示予定)のほか、「松に鶴図」(後期展示)などの魅力的な絵画が含まれている。
近年では、2008年から09年にかけて、朝鮮時代の絵画と日本におけるその受容をテーマとした大規模な展覧会「朝鮮王朝の絵画と日本」を代表として、民画に関するいくつかの展覧会が開かれたり、韓国でもソウル歴史博物館において7万5000人の入場者を記録したという「うれしい朝鮮民画」展(2005年)が開かれるなど、その認識は大きな拡がりをみせている。
柳宗悦による日本民藝館の朝鮮民画コレクションは、その優れた価値を認識させるための契機を作り出した、先駆的な役割を果たしたといえる。
また日本民藝館には、柳宗悦が「民画」以外に眼を向けたもう一つの朝鮮絵画の系譜である、画家による絵画や宮中画など、知識人のための絵画も約20点ほど所蔵している。犬や鷹などの禽獣図に独特な作風を確立した宗室出身の画家・李厳(1499~1546年以降)による「花下狗子図」(前期展示)「架鷹図」(後期展示予定)や、宮中での記録画「宣伝官庁契会図」(18世紀後半、後期展示予定)などの作品を軸に、特集展示を行っている。表現としては、民画とは対極的なものもあるが、共に柳宗悦が「朝鮮固有の美」として捉えた、魅力的な絵画群だといえる。
■朝鮮時代の絵画―19世紀の民画を中心に■
日程
9月13日~10月16日(前期)
10月18日~11月23日(後期)
場所:日本民藝館
料金:一般1500円ほか
電話:03・3467・4527