高麗美術館コレクション名品展「朝鮮陶磁の美―青磁・白磁・粉青沙器」が、11月12日から来年1月29日まで京都市の高麗美術館で開催される。朝鮮陶磁の逸品約70点を紹介するものだ。李須恵・同館研究員に文章を寄せてもらった。
「朝鮮の、主として李朝の陶磁へ、私が最初に共感を覚えたのは、そこに見られる情感の傾斜ということだった」。前衛陶芸家で知られ、当館設立者の鄭詔文(1918~1989)とも親交のあった八木一夫さん(1918~1979)の「情感の傾斜」という表現は、朝鮮陶磁にぴたりと当てはまる。多くの人はこの「傾斜」を好む。張り詰めた空気感よりも「力を抜く上手さ」に惹かれてのことだろう。朝鮮陶磁を眺めていると、いかに私たちが緊張した毎日を生きているかに気づかされる。
ここでいう「傾斜」は、朝鮮時代を代表する粉青沙器と白磁にみられる一つの特徴である。それが広く認められたのは1920年代以降のこと。近代化の中、中国陶磁と日本陶磁への評価をよそに、朝鮮陶磁には高麗青磁以外に見るものはないというのが世の常であった。翡翠色の釉が薄く掛かり、時に彫刻的でもある高麗青磁は一目置かれたが、朝鮮時代の、殊に17世紀以降の白磁は理解されず、その存在は貶(おとし)められた。彼らが見ていたのは「傾斜」ならぬ「ゆがみ」だったのである。
浅川巧(1891~1931)は次のように述べている。「ともかく李朝時代における陶磁器は一般に丁寧に取り扱われた。もっとも田舎へ行くと、庶民のうちには磁製の器などもたぬ家すらあって、大切な器とされていた」。朝鮮時代は官窯も地方窯もこぞって白磁を生産し、その需要は王朝終焉まで増大し続けた。一方で、田舎では実用も叶わぬほどの贅沢品だったという。
自らを「朝鮮的」とも言う先の八木一夫さんは、朝鮮白磁について「欲望の放棄」という言葉を残した。それは意欲を失うということではなく、あるがまま受け入れる精神の解放を意味している。朝鮮の人々が窯の中で起こる自然の「傾斜」を受け入れることができたのは、白磁が贅沢品だったこと、そして何よりも自然を越えようとする我欲を持たなかったからである。朝鮮白磁の「傾斜」は、面と面をつなぐ角の柔らかさや蓋の丸みにも現れ、その感触の心地よさは形容することができない。
粉青沙器(以下「粉青」)は、文様装飾にも独特の趣がある。人から生み出されたものにはそれぞれに個性があるが、粉青のいわば二重の情感は強烈で、掻き落とす力強さや鉄絵の筆さばき、粉を吹いたような白土の質感こそは醍醐味である。粉青を朝鮮語の「プンチョン」と呼ぶ時、そこには一定の規律を保ちつつも奇想天外な面白みを発揮する独自性が含まれている。
当初は象嵌・印花の技法を取り入れた粉青だったが、灰青のくすんだ釉色を覆い隠すかのように、次第に白土装飾が全体を占めるようになった。白さを増した粉青の器面はカンバスに見立てられ、自由奔放な筆運びで蔓草や蕨・朝鮮人参、ソガリ(鱖魚)など、シンプルで親しみやすい動植物文が黒茶色の鉄顔料で描かれ始めた。中国は磁州窯にその源流がみられるが、粉青のざらりとした質感に、刷毛で、あるいはどっぷりと浸すように白土が掛けられ、大胆な鉄色が重なり合う様は圧巻である。およそ15~16世紀に生産された粉青だが、同じ頃、既に青花白磁が王宮専用の御器(ぎょき)として登場していた。当然、王宮はごつごつとした粗放な粉青よりも、美しく高貴な青花白磁を好んだ。粉青は立場を失い、その生産需要は衰退していく。しかし粉青がその後に与えた影響は深く、またその個性は海を越えて日本の茶文化にも加わることになった。「三島」や「刷毛目」、「粉引」等の呼称で珍重された粉青に、おそらく茶人たちは「ゆがみ」ならぬ「情感の傾斜」を見たのだろう。
鄭詔文は焼物が好きで、日本各地の窯場を巡った。沖縄の壺屋焼窯を訪ねた時のことを次のように回想している。
「きびしい歴史の移り変わりのなかで、李朝の炎は南の島のその風土にとけこみ、独自の文化を築くなかに生かされているのだと思うと、私は郷愁に似たなつかしさを感じないではいられなかった」。
鄭はいつも焼物を通して陶工の姿、そして古里(ふるさと)を見ていた。その「なつかしさ」は、朝鮮陶磁と触れ合う私たちにきっと響くと思う。「情感の傾斜」か、単なる「ゆがみ」か。どうぞお見逃しなく。
■朝鮮陶磁の美―青磁・白磁・粉青沙器■
日時:11月12日~来年1月29日
場所:高麗美術館(京都市北区)
料金:一般500円、大高生400円
電話:075・491・1192