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2011/12/09

<韓国文化>金基徳(キム・ギドク)監督の"憤怒"とは

  • 金基徳監督の”憤怒”とは①

    金基徳監督が製作・脚本を担当した『豊山犬』

  • 金基徳監督の”憤怒”とは②

    『アリラン』

  • 金基徳監督の”憤怒”とは③

    もんま・たかし 1964年秋田県生まれ。明治学院大学准教授。韓国、中国、北朝鮮を中心とした東アジア映画を研究。著書に「アジア映画に見る日本」など。

 国際映画祭「第12 回東京フィルメックス」がこのほど閉幕し、韓国映画『ムサン日記―白い犬』(パク・ジョンボム監督)が審査員特別賞、観客賞を『アリラン』(金基徳監督)が受賞した。同映画祭に参加した門間貴志・明治学院大学准教授に報告をお願いした。

 11月27日に閉幕した「第12回東京フィルメックス」で、韓国の金基徳監督の3年ぶりの映画『アリラン』が観客賞を受賞した。すでに今年のカンヌ国際映画祭で「注目に値する視線賞」を受賞している。

 金基徳監督は、韓国映画の中でも特異な存在である。

 インディーズでありながら、常に観客を挑発する作品を継続的に発表してきた「天才肌」の作家である。彼はこの映画祭ではほぼ常連監督の扱いであり、今回のチケットも発売後3分で完売するほどの人気である。『アリラン』はセルフドキュメンタリーである。金監督は前作の撮影中に起きた事故をきっかけに、映画界というか世間との接触を絶って山小屋での隠遁生活を送っていた。映画はそんな生活を送る自分にカメラを向けたシンプルな構成の作品である。

 山小屋はどうやら農村にあるようで、遠くに民家も見える。山小屋には電気は通じているが水道はない。薪を割ってストーブで暖をとり、そして食事を作る。自分で作ったと思われるエスプレッソマシンでコーヒーを入れる。まさしく「山の生活」と思っていたが隠遁というにはやや優雅でもある。

 前半はずっとセリフもなく、ひたすら日常をカメラに収めていく。やがて監督はカメラに向かって語り始める。それは映画が撮れなくなった自分への問いかけである。時に自省的に、時には暴力的に自分を問い詰める。自分との対話が続く。そしてその映像をパソコンの画面で確認する。感情的に語っていても、じつはかなり構図に気を配っているのが分かるユーモラスな場面である。

 では一体彼は何と闘っているのか。自分のスランプなのか、それとも韓国映画界なのか。彼の発する言葉を聞いていると、再起に向かうリハビリテーションのようにも見える。山小屋のドアをノックする音がするが、ドアを開けると誰もいないという場面が二度繰り返される。このノックは外部からの呼びかけである。それに応えるかのように彼はこの作品を携えてひょっこりと表に出てきた。

 詳述は避けるが、映画のラストには彼の抱える憤怒を一気に噴出させる衝撃的な場面がある。ぜひとも新作(劇映画!)を期待したい。

 同映画祭には、金監督が製作・脚本を担当した劇映画『豊山犬』も出品された。監督は金基徳作品で助監督を務めていたチョン・ジェホンである。低予算で短期間で撮られたというが、クオリティーは決して低くない。主人公は、夜陰にまぎれて韓国と北朝鮮の休戦ラインを越え、ソウルと平壌間を何でも配達する仕事を請け負うという正体不明の男である。

 配達するのは主に年老いた離散家族間のビデオメッセージなどである。男は吸っている北朝鮮のタバコの銘柄から「豊山犬」と呼ばれる。豊山犬は北朝鮮原産で獰猛な性格で知られる狩猟犬で、寡黙で一言も発しない主人公のイメージに重ねられている。それにしてもソウル・平壌間を3時間で往復というのは荒唐無稽である。最初は開城のような分断線近くの街かと思って観ていた。

 昔、平壌から開城まで夜行列車に揺られたことがあったが4時間以上かかった記憶がある。韓国の情報院はこの豊山犬に接触し、韓国に亡命した北朝鮮高位層幹部の恋人を平壌から連れ出すよう依頼する。映画のタッチは金基徳とは異なるが、時折彼らしい場面もある。

 狂気すれすれの激情、そして悲哀と深い絶望。この夏『豊山犬』は韓国でヒットし、かなりの収益をあげた。これを弾みに金基徳が再び韓国映画で活躍することを願う。

 未見ではあるが、今回もう一本上映された韓国映画は、パク・ジョンボムの『ムサン日記~白い犬』である。こちらは脱北して韓国に住む青年の日常をリアルに描いた作品である。『豊山犬』とは全くテーマも雰囲気も異なる作品だが、脱北者が韓国で直面する現実を描いているという点で共通している。

 南北関係をテーマにした映画にも、対立でも融和でもない興味深い変化が訪れている。