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2012/04/27

<韓国文化>詩を通した日韓交流を

  • 詩を通した日韓交流を①

    日本の着物姿で詩を朗読する「BREATH」のメンバー

  • 詩を通した日韓交流を②

                     遠藤 敦司 代表

 詩を通じた日韓文化交流に取り組む前橋朗読研究会が「BREATH」(群馬県前橋市、遠藤敦司代表)がこのほど韓国を訪問し、仁荷大学校・祥明大学校で日韓文学交流を行った。遠藤さんに報告を寄せてもらった。

 真の国際交流はあるきっかけを見つけ、まず個と個がつながり序々にその輪を広げることが理想だと考える。政治、経済というさまざまな利害と思惑が存在する交流だけでは、他国の歴史や文化、生活感情を汲みとることは出来ないと思う。

 そこで当会では大きな意味での人間学でもある文学、それも朗読、つまり音声言語表現を通して、お互いの文化をより深く理解する活動に取り組んでいる。

 そのきっかけは約10年前、日本の近代を代表する詩人、萩原朔太郎の作品を、初めて韓国で翻訳出版した人物がいることを知ったことに始まる。当会は19年前、前橋市で誕生した市民グループだ。前橋こそ朔太郎が生まれ育った地であり、胸躍り、何か出来る!何かしなければの思いは強くなるばかり。そこで立ち上がった企画が、朔太郎の翻訳者、林容澤氏(仁荷大学校教授)を招く事と、同時に韓国を代表する詩人の一人、鄭浩承氏、日本の現代詩人会の八木幹夫氏(元・日本現代詩人会理事長)を混じえた形で、日韓「詩」の交流会を開くことだった。

 朔太郎の詩を中心としながら、韓国の近代詩、それに鄭氏、八木氏の作品を朗読。日韓の比較文化という視点で論じ、話し合う会だ。すでに過去2回、前橋文学館(朔太郎記念文学館)にて開催した。そうした交流の中で実施したのが、韓国の2大学を訪問し日本語、日本文学を学ぶ学生たちに朗読を行う事だった。今回は仁川市の仁荷大学校(林教授)と、天安市の祥明大学校(梁東国教授・萩原朔太郎研究家の一人)に赴き、当会の読み手5人、それに私が参加した。作品はすべて日本の近・現代詩のみ。朔太郎の他は石垣りん、茨木のり子、八木幹夫の詩を朗読した。

 没して70年、第一詩集「月に吠へる」が出版されてすでに95年、この前橋生まれの詩人、萩原朔太郎がなぜにこれほど韓国で研究され、学ばれているのか?

 今回発表会を行った大学の担当教授の他に、別の大学にも研究教授がいるという。地元前橋でもそうだが、多くの日本人の朔太郎評価は、暗い、病的、異常と、とても近寄りがたい難解な詩人ということである。では韓国の人たちは、朔太郎のどこに共感し、どこに魅力を感じているのか…。

 翻訳に取り組んだ林教授は「ハングルには口語体、文語体という区別はなく、朔太郎の口語・文語・漢文詞が混在した作品は、訳す上で大変に苦労した」と語った。しかし、悲憤慷慨(こうがい)の中にある恨みつらみ、孤独感と憂愁をたたえた叙情性は、韓国人の心情に符合する力があるという。また詩人の鄭浩承氏は、自身の弱さも含めた正直さを持って朔太郎は詩と向き合った。その姿勢に共感を覚えたという。

 朔太郎が詩人として認められて約100年。100年前といえば日本の植民地政策によって、日韓併合が実行された韓国民の苦難の時代でもあった。その時代に画期的な作品を発表した朔太郎が、いま韓国で研究され、詩集が出版され、学生たちが学ぶ…、それこそ文学が国境を越えて、世界の人々に共感を呼び起こす力なのだろう。

 写真でもおわかりのように、読み手全員は日本の民族衣装、着物を着て登場した。約1時間半の会はすべて日本語で行われ、「私も日本語の朗読をやってみたい」という女学生の声は感動的だった。

 後で知ったが祥明大学校は天安市にある。天安市はかつて日本が植民地政策を推し進めた頃、独立宣言を発した30数名の独立運動家全員が逮捕された地でもある。

 その地を私たちが訪れ、日本語の朗読を行って、歓迎されたことは、地道な文化交流がいかに重要かということを改めて知らしめてくれたと実感する。昨年の東日本大震災の影響で日本を訪れたり日本語を学ぶ学生が以前より減ったと聞くが、日韓交流を一歩一歩進める中で、再び活発な文化交流が展開されることを願いたい。


  前橋朗読研究会「BREATH」の第19回朗読公演+筝の調べが、6月10日午前10時30分と午後2時30分の2回、群馬県前橋市の前橋煥乎堂5階ホールで開催。川端康成の短編集を朗読する「人間・愛の絵模様」と日本最古の歌集を読む「音感万葉集」ほか。一般前売り2500円、当日3000円。℡080・5653・3699。