春季特別展「王と首長の神まつり-古墳時代の祭祀と信仰-」が、大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡河南町)で開かれている。古墳時代の祭祀や信仰にかかわる出土品約500点を通して、韓半島と日本の古代交流を知る貴重な展示会だ。同館の飯田浩光学芸員に文章を寄せてもらった。
◆祭祀からうかがえる古代の交流 飯田 浩光(大阪府立近つ飛鳥博物館)◆
古来、神まつりはさまざまな場で行われていたといわれている。古墳時代には、王や首長の住まう居館、集落、井戸、水辺、あるいは山や巨岩をのぞむ場などで神まつりが営まれていた。
均整のとれた美しい形の山や巨大な岩などは今でも信仰の対象になっており、現代の信仰の中には、古墳時代にその原形が求められるものもあるといわれている。
今回の展示では、祭祀が行われた場に着目し、神まつりを多角的に捉えることに主眼を置いてみた。また、王や首長の神まつりの司祭者としての姿がうかがえる、古墳出土の副葬品や埴輪なども展示している。以下、主な展示品をいくつか紹介する。
玄界灘に浮かぶ孤島である福岡県宗像市沖ノ島(おきのしま)は、古墳時代の代表的な祭祀遺跡として知られている。そこに捧げられた品々には、銅鏡や金銅製馬具など、古墳の副葬品としても最上級の品目が数多く含まれていた。七号遺跡出土の金銅製の馬具(写真2枚目)は、表面に鳥人像(人の顔と鳥の翼を持った生物の像)を透彫りしたもので、朝鮮半島の新羅(しらぎ)地域で製作されたといわれている。
金銅製馬具の出土をはじめ、他の祭祀遺跡には認められない特徴が沖ノ島では数多く確認されていることから、この島における神まつりには、ヤマト王権がかかわった可能性が指摘されている。大陸や韓半島との盛んな交流のなかで入手された品々が捧げられ、航海の安全などが祈願されていた。
古墳時代に各地で行われた神まつりで、具体的な様相が明らかとなりつつあるもの一つとして、水にかかわる神まつりがある。奈良県御所市南郷(なんごう)大東(おおひがし)遺跡では、大規模な導水施設(貯水池から木樋(もくひ)で水を引き木槽(もくそう)に集め、沈殿とろ過で清浄な水を得る装置)の跡が見つかっており、水にかかわる祭祀が執り行われた場と考えられる。また出土した土器の中には韓式系土器(朝鮮半島系の土器=写真1枚目の右後ろの土器)が認められ、渡来系の人々も神まつりにかかわっていたと考えられる。
一方、古墳からも神まつりの一端をうかがわせる埴輪がみつかっている。先に触れた導水施設の形を表した埴輪が、大阪府八尾市心合寺山(しおんじやま)古墳や三重県松阪市宝塚1号墳、兵庫県加古川市行者塚(ぎょうじゃづか)古墳などでみつかっている。
このような埴輪が古墳の墳丘上に置かれていたことから、水にかかわる神まつりに、古墳に埋葬された首長が直接かかわったことが考えられ、祭祀遺跡と古墳の双方向から神まつりの実像が明らかにされつつある。
王や首長たちにとって、大規模な古墳を造営することや政治(まつりごと)とともに、神まつりを司祭者として執り行うことも、彼らの重要な職務だった。また、祭祀遺跡のなかには渡来系の出土品がみつかっている遺跡もあり、古墳時代における韓半島との活発な交流が信仰の世界にも及んでいることがうかがえる点は興味深いといえるだろう。
やがて次の飛鳥時代には、仏教が伝来し広まることはよく知られているが、ほかにも東アジアに広まっていた道教の信仰に基づく祭祀も伝わり、後に律令的祭祀として藤原京や平城京などの都城で盛んに行われるようになる。今回展示している大阪市難波宮跡出土の絵馬をはじめとする木製祭祀具は、このような律令的祭祀の祭具の中でも古い資料である。
現代の神道につながる神祇(じんぎ)信仰は平安時代に体系化されるが、この信仰の中には、古墳時代にさかのぼる神まつりの形や、飛鳥時代以降に広まる道教的な信仰の要素も少なからず含まれていたといわれている。
■王と首長の神まつり■
日程:開催中(7月1日まで)
場所:大阪府近つ飛鳥博物館
料金:一般600円、高大生400円
電話:0721・93・8321